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色彩のピアニストとして

【自己紹介】

先日天国へ行った母が、以前
「あなたは小さい頃、適当に歌を作って口ずさんでいた」
と言ってたのを思い出しました。

音楽の業界に入るとは思わずに、建築や土木方面で図面を広げて仕事をするものだと思っていたんだけどね。
鍵盤楽器を触り始めたのは中学3年生になってから。

突然、近所の友達だと思っていた2人から始まったいじめ。

小〜中学校の間、私は学校や通学路でのいじめに耐え続け、心の底に逃げ込むことで生き延びてきました。
原因は自分なのか相手なのか、今となっては分からないですが自分の未来を左右する大きな出来事でした。

傷が分からないような箇所をバットで叩かれ、自転車で執拗に轢いてきたり。持ち物を全て窓から捨てられたり。

最初は「いじめっこ」たちへの深い憎しみに満ち、自分の脆さから逃げて無抵抗な毎日だった。

さすがに命の危険を感じて
「このままではいけないと」
思うようになったのは、小学校低学年の頃。

世界は矛盾に満ちていた

空手を始めて、真剣に心身の鍛錬に取り組んでみた。
帰り道の公園でいつものように「いじめ」が始まり、後ろから羽交い締めにされた時に、咄嗟に肘打ちが発動して相手を傷つけてしまう。
※空手の肘打ちは禁止😅

相手は泣いて親や先生に訴えて、次の日に私は犯罪者になったかのごとく先生に怒鳴られました。
私がどんなに訴えても、助けてもくれなかったのにね。

「こんな世界、もうやってられない!!」

不登校となり年間のほとんどを家で過ごして、目の前の問題から逃げることを選択していました。
心から本当に辛かったし、いつも「死」が隣で微笑んでいる状態で、世界から色が消えていった。
不思議なことに、この頃の「色」が思い出せない。

母親が、不登校であることを許してくれたことが救いでした。

しかし、不思議なことに、時が経つにつれて深い内観へと導かれ、自分の現実と感情を受け入れることで、過度な自己批判から解放されていくのを感じました。
それと同時に、人との関わりの必要性を失い、完全に外部と遮断し続けるようになりました。

いじめと向き合う先生に救われて

中学校2年生の頃に、担任で音楽の先生が「いじめ」と向き合ってくれました。

「もう大丈夫だから」

この言葉が私の世界の全てを救ってくれました。

「私は一人じゃない。周りには自分を守ってくれる人がい る。」という安心感を与えることが大切です。安心感から心を開いてくれることができれ ば、本人の心に働きかけ、心のケアを行うことができます。

https://www.pref.aichi.jp/uploaded/attachment/247821.pdf

心が開いて、今まで閉じ込めていた感情が雪崩のように溢れてきました。
いとも簡単にアナ雪のように、凍りついた心が溶けていく感覚。

そして
「音楽を演奏する人って、心を癒す力がすごいな」…って。

中学3年生の頃、いじめが完全に終わりを告げると同時に、色のなかった世界がカラフルに色づき、メロディーが湧き上がりました。

そのメロディーを紡ぎたいがために、私は両親にピアノをねだり音を紡ぎ始めました。
その瞬間から、私の色彩に満ちた音楽の旅が始まりました。

ヒーリングピアニストから「色彩のピアニスト」として。
無意識のさらに奥底から湧き上がる音楽を通じて、私が伝えたいことは何なのか。
これから音楽を交えてお話しできたらと思います。

朝木奏多のCDはこちら

●朝木奏多ソロ作品
https://kujackmc.biz/loveleft/

●夜明ケノヲト(四恩緋さんとの音楽ユニット)
https://kujackmc.biz/akenote/discography/

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