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宮崎県高原町の旅

ぬこです。
今日は、西諸県高原町にある霧島東神社や、かくれ念仏洞、陣の池に行ってきましたー!

写真を交えつつ、旅の様子を書いていきたいと思います!!

まずは霧島東神社へ

朝9時に宮崎市を出発し、まずは西諸県高原町の霧島神社に行きましたー!

標高500mの高台にあり、伊邪那岐尊(イザナギノミコト)・伊邪那美尊(イザナミノミコト)を主祭神として祀り、第十代崇神天皇の代に霧島山を信仰の対象とする社として創建された神社です。

長い長い階段を登ると、やっと社に辿り着きます。
道中はずっと立派な木々が並んでいて、歴史を感じると共に、神聖な場所なんだなあという思いを抱きました。

駐車場の近くには比較的新しい観音像や性空上人の石像、不動明王が。
手を合わせて帰りました。

山道の脇...かくれ念仏洞

さて次は、細い山道を抜けて永久井野(ながくいの)かくれ念仏洞へ。

絵がね...怖い...
もうこの時点で怖がりの私はビビってました。

薩摩藩では、戦国時代末期から一向宗(浄土真宗)が禁止されていたので、信者達は信仰を守るため、人里離れた洞穴(諸県弁でガマ)などに夜目にまぎれて集まり、講話をきいたり、念仏を唱えたりしたのだそうです。

長い長い道を抜けていきます。
雨の後だったので、道はぬかるんでるし、暗いし、私たち以外に人はいないしで、めちゃくちゃびびりながら進む私。

そして、着きました。
この小さな穴が洞窟の入り口です。
狭くて暗い洞窟。
この中でひっそりと、信仰を守っていた人たちがいたんですね。

しかしビビりな私は、コウモリの突進にビビってすぐに洞窟から出ました。

陣の池


最後に行ったのは、えびの市にある陣の池。
こうよばれるのは、木崎原の戦い(きざきばるのたたかい)で、池の近くに伊東軍が陣地をかまえたためです。

この戦いは、伊東義祐と島津義弘の間でおこなわれた合戦のことです。

大軍(3000人という説が有力)を擁していた伊東側が少数の兵力(300人程度)しか持っていなかった島津側に敗北を喫してしまったことから「九州の桶狭間」とも呼ばれているそう。

島津氏第15代当主・島津貴久は薩摩国の統一を果たしたのですが、1571年に亡くなります。
すると、大隅肝付氏が島津領内に侵入。

これをチャンスとみた都於郡城(とのこおりじょう・今の都城市)の伊東義祐は、島津貴久の次男・島津義弘が守る飯野城(今のえびの市飯野)付近へと進軍。

ところが、前述したように数では有利だったはずが、伊東氏は敗北してしまったそうです。


透明感があって、本当に綺麗なため池でした。
池の底まで見えるんですよ。
エメラルドグリーン。いつまでも見ていられました。

まとめ

陣の池は本当に綺麗だったなぁ。
いつかホタルも見てみたいです!

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