戦争について、考える
本日8月15日は、終戦記念日ですね。
終戦から79年という月日が経ち、戦争を経験された方も鬼籍に入られる方が増えている昨今。
改めて、戦争について考えてみたいと思い、今回はとても長いnoteを書いてしまいました。
お時間があれば、お付き合いいただけますと幸いです。
1. 戦争の定義
まず初めに、「戦争」とはいったい何なのかについて調べてみました。
戦争とは、伝統的な国際法上の意味での戦争、すなわち、国家の間で武力を行使し合うという国家の行為をさします。
(必ずしもそうではありませんが)宣戦布告により発生し、当事者国間に国際法が適用されます。
2.戦争がどのように人類史に影響を与えてきたか
戦争は、人類に多岐にわたる影響を与えてきました。
その影響は政治的、経済的、社会的、技術的、文化的な側面に及ぶといわれています。
以下にそれぞれの側面について詳しく説明します。
①政治的影響
戦争は、新しい国家の誕生および既存の国家の崩壊、国境の変更を引き起こしたりします。
例えば、第一次世界大戦で敗戦国となったドイツは、1919年のベルサイユ条約で、戦勝国(米国、英国、フランス、およびその他の同盟国)から厳しい制裁を受けました。
領土の削減や植民地の放棄に加え、大幅な 軍備制限 を課せられたのです。
(ドイツではヴェルサイユ条約に対する恨みが継承され、ナチスの台頭に繋がったと言われています)
また、戦争は、しばしば政権交代を伴います。
古くはナポレオン戦争もそうだし、第一次世界大戦中のロシアでは1917年のロシア革命、その後の十月革命でボリシェヴィキ(後の共産党)が権力を掌握し、ソビエト連邦が成立しました。
第一次世界大戦末期のドイツ帝国では皇帝ヴィルヘルム2世が退位、ヴァイマル共和国が成立。
第二次世界大戦の後は、ナチス・ドイツや日本の軍国主義政権は崩壊し、戦後の世界秩序が再構築されました。
②経済的影響
戦争は複数の国家間で起こる、武力を使った争いです。
つまり、そこにかかる費用も巨額なものになります。
太平洋戦争では、日銀の直接引き受けによる国債発行という形で戦争の費用がまかなわれたようで、太平洋戦争(日中戦争を含む)における名目上の戦費総額(一般会計と特別会計)は約7,600億円だそうです。
日本が太平洋戦争に費やした戦費は、国家予算の約280倍。
現代の通貨価値に置き換えれば、4,400兆円という巨大な数値になると言われています。
(軍部の暴走により、使った金額が不透明なところもあるそうで、実際のところはよくわからないそうですが)。
日銀は普段、銀行から国債を買い取ることで市場にお金を供給しているのですが、「日銀の直接引き受け」では、日銀が国から国債を受け取り、国に予算となるお金を渡すという形になります。
戦争には巨額な費用が必要で、日銀が発行する金額も大きなものになります。
そしてこのことが、戦後の物価高騰へとつながるわけです。
また、戦争はインフラの破壊、産業の停止、貿易の中断を引き起こし、経済に深刻な影響を与えます。
ただし、戦争が始まると一部の企業は多額の資金を集め、業績が好調になったりもします。
③技術革新は戦争を変える
皮肉なことに、戦争は技術革新を促進する側面もあります。
そしてそのことが、より非人道的な殺戮に繋がっていると感じます。
近年では、ウクライナやイスラエルにおいて自爆ドローンが投入されたりしています。
つまり、直接的に敵と対峙せず戦争を行える時代となり、より悲惨で残虐な行いができるようになったのです。
④ 社会的影響
・人の命が軽んじられる
戦争は大量の人命を失わせるばかりか、人の命の価値が軽く見られるようになってしまうと感じています。
ロシアによる軍事侵攻が続くウクライナでは、今年6月までに死亡した人の数が、生まれた子どもの数の3倍にのぼっているというデータもあるそうです。
太平洋戦争での死者数は、日本軍の軍人の総数は230万人。
そして内地での戦災死者数は約80万人といわれ、総数310万人が犠牲になったといわれ、その数だけ、今も悲しみに暮れる人が多く存在するのだと感じます。
・人々の暮らしが変わる
太平洋戦争では、食料や衣服や燃料などの生活に必要なものは配給制になって自由に手に入らなくなりました。
1人1日2合3(330グラム、成人男子)という配給量で、戦時中の配給量は「現在の食事量の3/4程度」の量。
戦争末期には配給が実施されない日も多くなり、最終的には米不足に陥り、白米ではなく玄米や乾麺が支給され、道端や線路脇、校庭、庭先などでサツマイモやカボチャを栽培し、野菜くずやお茶殻も口にしたといいます。
1938年(昭和13年)に公布された国家総動員法では、政府は議会の承認なしで人的・物的資源を動員出来るようになり、貯蓄や国債応募、国防献金、物資節約などを呼びかけました。
さらに、1941(昭和16)年、政府は「新聞紙等掲載制限令」を公布。
外交・経済・財政など、政策遂行に支障を来す恐れのある事項を、新聞に掲載することを禁止。
違反すると、発売禁止や差し押さえなどの厳しい処置が取られたといいます。
・難民
戦争は人々を故郷から追い立て、難民や移民を生み出します。
難民となった人々は、新しい場所での生活を余儀なくされ、新しい土地でのストレスや不安にさらされますし、一方で、受け入れ側にとっては、受け入れ能力に大きな負担がかかるという側面もあり、社会問題化しています。
2022年5月以降は、1億人以上いる状況が続いているといわれています。
特にシリア内戦による難民危機は、周辺国やヨーロッパに大きな社会的、経済的影響を及ぼしました。
・社会的役割の変化
皮肉なことに、戦争が社会的役割を大きく変えることもあります。
例えば第1次世界大戦中、アメリカやイギリスでは多くの女性が工場で働きました。
戦場に行った男性に代わり、それまで男性の領域とされていた仕事に女性が足を踏み入れたことで、社会のバランス全体が変わったそうです。
1918年に第1次世界大戦が終結。
戦地から男性が戻ってくると、大部分の職種は再び男性が占めるようになったそうですが、1918年11月には英国とドイツで、1920年には米国で女性の参政権が認められ、女性の地位が向上したと言われています。
・トラウマと心理的ストレス
戦争は直接戦闘に参加した兵士や、その影響を受けた市民に深刻なトラウマと心理的ストレスを引き起こします。
広島や長崎で原爆が落とされ、凄惨な光景を見たり、家族を助けたくても助けられなかった経験から、長期間にわたって心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しむ人々が多くいます。
戦地から帰ってきた父が、別人のようになってしまったというケースもあります。
戦争は、人の身体を傷つけるだけでなく、心をも破壊するのです。
また、戦後何年も戦地で亡くした父や夫の帰りを待ち続けたり、どこで亡くなったのか知りたい、遺骨を持ち帰りたいと探し続ける遺族の方が今もいらっしゃいます。
この方々にとって、戦争は永遠に終わらないのだと思うと、胸が締め付けられるように痛みます。
3.戦争の原因
戦争の原因は複雑で、多岐にわたりますが、主に以下のような要因が挙げられます。
①領土の拡張や支配地域の拡大を目指す野心
かつて、ヨーロッパ諸国は地球上の広大な地域を「植民地」として支配していました。
植民地とは、ある国が他国の領土を支配し、その地の資源や労働力を利用することです。
もともとの植民地は、他の地域から移住してきた人々が新しく開拓した土地のことでしたが、16世紀以降になってヨーロッパは大航海時代を迎え、その優れた航海術・そして圧倒的な軍事力で周辺地域を軍事的に征服するようになりました。
こうした考えや、白人至上主義などにより、植民地支配された国は下に見られ、虐げられました。
植民地を支配した国は宗主国と呼び、宗主国によって支配された植民地は支配形式によりいくつかの形態に分類されます。
18世紀~19世紀にかけ、「産業革命」が起きました。
石炭を動力とする機械の登場により、これまでよりも高い生産能力を獲得したのです。
製品の生産力が高まると、どうなるでしょうか。
製品を作るには、そのもととなるものー原材料が必要となります。
ヨーロッパ諸国は競って海外植民地を獲得し、原料供給地にしようとしました。
そして、出来上がった製品は宗主国の消費だけでは足りず、海外植民地に輸出されたりもしたんですね。
至る所で搾取が行われたのですが、私が学生時代、植民地支配のエピソードで、強烈に記憶に残ったのが「アヘン戦争」でした。
スペインやオランダに続き、イギリスが1600年に東インド会社を設立し、インドに進出しました。
イギリスは、アジアの大国・清との貿易をほぼ独占して儲けていましたが、1780年代に入り、イギリス国内で空前の紅茶ブームが起こったのです。
そこで、清から茶を大量に輸入するようになったのですが、「イギリスの綿製品の輸出額が上回ればいいよね…」と思って取引していたものの、イギリスの綿製品は清で売れず大幅な貿易赤字を出してしまいます。
なんとか利益を出したいと思っていたイギリス。
そこで、清の人々のアヘンを吸う習慣に目を付けました。
イギリスは、当時植民地にしていたインドの人たちに大量のアヘンを生産させたのです。
そしてイギリスは、植民地のインドで生産したアヘンを密貿易で清へ輸出。清はアヘンの代金としてインドへ銀を支払い、インドはイギリスからイギリス産の綿織物を売りつけられ、アヘンを売って稼いだ銀でイギリスに綿織物の代金を支払うという三角貿易を思いつきました。
アヘンはあっという間に清国内に蔓延するし、インドからのアヘンの輸入量は膨大で、清から銀が大量に流出。財政難に陥ります。
危機感を抱いた清はイギリス商人からアヘンを没収し焼き捨て、アヘン貿易を禁止したのですが、イギリスは、自国の貿易と商人の保護を口実に、清との間でアヘン戦争(1840年~1842年)を始めました。
結果、弱体化していた清はイギリスに敗れ、南京条約(賠償金2100万ドルの支払い、広州・福州・厦門 (アモイ)・寧波(ニンポー)・上海の5港の開港、香港の受け渡し)を結ばされました。
こども心に、「むごいことするなあ」と思ったものです。
こうしたヨーロッパ諸国による海外植民地支配の思想や政策のことを「帝国主義」といい、他国の犠牲を顧みず、自国の利益を最優先することで、ヨーロッパ諸国は軍事力や経済力で次々に他国を侵略していきました。
一方日本は、1868年に明治維新を成し遂げ、富国強兵を行い、軍事力・経済力を増していきました。
1894年には日清戦争に勝利。
日本で最初の植民地である台湾を獲得しました。
台湾を軍事的に征服した日本は、台北に台湾総督府を設置。
海軍軍令部長の樺山資紀(かばやますけのり)を台湾総督となり、統治を始めます。
島民の頑強な抵抗を武力で鎮圧していきました。
植民地となった台湾は日本に砂糖や米を移出し、日本経済を支えました。
②自衛の戦い
ほかの国から攻められたときに自国を守るのが「自衛の戦い」です。
現在起きているロシアとウクライナの戦争は、この「自衛」が口実となっています。
「ロシア、そして国民を守るにはほかに方法がなかった」。
ロシアのプーチン大統領は攻撃開始を宣言する演説でそう述べ、東西冷戦の時代からの西側諸国の軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)が自分たちを敵とみなしてきたのだと言いました。
ウクライナのゼレンスキー政権は親欧米で、NATOへの加盟を目指していますが、プーチン大統領としては何とか武力で排除し、ロシアに従順な国に変えてしまいたい、地理的にもNATOに加わっている国々とロシアとの間のクッションにもなって安心だと考えているのではないでしょうか。
NATOというのは東西冷戦期の1949年、米英仏など西側陣営の12カ国が、旧ソ連や社会主義陣営に対抗するために結成した軍事同盟のことです。
防衛を最大の目的とし、加盟国に対する攻撃は全加盟国への攻撃とみなして集団的自衛権を行使すると定められています。
99年以降、ソ連による侵攻や支配を受けた経験があるポーランドや旧ソ連構成国のバルト諸国などが、ロシアから身を守るためとして次々にNATOに加盟をしたわけです。
そうすると、ロシアとしては脅威を感じるわけですね。
かつてナチス・ドイツなど西側から陸上を通って攻め込まれてきた歴史があるからです。
だからなんとか領土を拡大(親ロシア派を増やしたい)したいのだと思います。
2022年2月24日。
攻撃されたウクライナは国を守るため、武器を持ちました。
けれど前述したように、ロシアもこの戦いを「自衛」だと言っています。
個人的には自国が攻撃される原因を作っているのはプーチン大統領ではないかと思うし、今回の戦争も「侵略じゃないか!」と思うのですが…。
③戦争はまた戦争を呼ぶ
紛争と戦争には定義の違いがあるのだけれど、今回はいったんそれは言及しないことにして。
アフガニスタン紛争やクルド人居住地域の問題、シリア内戦など、はじめは民族同士の争いや宗教間の争いなどから端を発した争いも、長年続けているうちに、「愛する人を殺された恨み」や「何としても国を守らなければならない」などの思いも入り混じって、泥沼化しているように感じます。
憎しみや恨みは、そう簡単に消えるものではないと思います。
一度争いが始まってしまえば、1年や2年で終息するものでもないなと、ロシアとウクライナの戦争を見ていても思います。
4. 結論
戦後79年。
戦争を経験した方よりも、戦争を経験していない人の方が圧倒的に多くなっています。
そして現実に、現在戦争が起きている国もあります。
平和を守り続けるために、何をするべきなのか。
それは、戦時中の人々のことを少しでも学んで、現代にも通じるような問題はあるのかなとか、どういうきっかけで戦争に進んだのか、同じような状況になったとき、じぶんだったらどう考えるかを考えることかな、と思います。
そして、ナショナリズム的な考え方であったり、じぶんさえよければ良いという自分主義的な考え方が目立つようになってきていると感じます。
「自分さえよければ」という考え方ではなく、周りの人も笑顔にするにはどうしたらよいか考えていくことも、大事なことだと感じます。
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