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【ドラマ】『40歳の解釈:ラダの場合』

 いきなり、ちがう作品の話からだけれど、この間、Netflixにおすすめされて見た「エノラ・ホームズの冒険」が、変わった母親(ヘレナ・ボナム・カーター)に育てられたシャーロック・ホームズの妹(ミリー・ボビー・ブラウン)が活躍する物語で、それを邪魔する寄宿学校の校長としてフィオナ・ショウも出ているし、設定も役者も「セックス・アンド・ザ・シティ」風の画面に向かって話しかける撮り方も、すべておもしろくなりそうな要素をぎゅっと集めているのに、全体としては何かが足りない…というような、とても残念な感じだったので、Netflixがこの「ラダ」を勧めてきた時も、「また今の時流に合わせて黒人の主人公の話なのでは…映像が白黒なのも奇をてらってるんだろうか…」と、だいぶうがった目で見始めてしまった。

 でも、見てみたら、とても良い映画だった。

 若い時に賞をとり、でもその後は鳴かず飛ばずで、今は子どもにワークショップを教えながらハーレムで暮らすもうすぐ40歳になる劇作家のラダがラップを始めて自分が本当に創りたいものを表現し始める…という、とてもわかりやすい話なのだけれど、物語はきちんと丁寧に語られていて、登場人物たちもちょっとアーキタイプっぽくもあれ、基本的に大事に描かれている感じがして安心した。

 そして、ラダの書くラップの歌詞がおもしろいし、ビートがかっこいい。
 実際のラップのシーンだけじゃなくて、映画全体に通ずるリズムがある。
 リズムがある物語は、すっと入りこめる。

 見終わってから、この映画は実際のラダ・ブランクの経験をもとにしていて、なおかつ主人公のラダを演じているのがラダ本人だというのを知った。
 フィービー・ウォーラー・ブリッジの「フリーバッグ」とか、ミカエラ・コールの「I May Destroy You」とか、レナ・ダナムの「ガールズ」とか、私小説的なドラマや映画が最近、増えているような気がする。
 私的なストーリーを映像で表すことを手段として選びやすい時代になったんだなと思う。
 こういう私的な作品は、いろいろな欠点があっても、そこには何か作り手の内側からあふれてくるもの、どうしても表現しないといけない必然性みたいなものがあり、それが作品に力を与えるような感じがして、好きだ。

 そして私的でなくても、エンターテインメントとしておもしろくするぞ!という意気込みで創られた作品も、そういう意味での必然性が感じられて好きなのだけれど、「エノラ・ホームズ」は、そこの気合もそんなになくて、「これとこれを集めたらおもしろそうだから、今流行っててうけそうだから」っていう視点で創った作品な感じがしちゃうんだよなあ…と、「ラダ」の感想なのに、またもどる。

 でも、「ラダ」に描かれているのも結局そういうことなんじゃないかなと思うのだ。
 時代をとらえているとか、有意義だとか、心を打つとか、センスがいいとか、そういう要素を集めて「何かになろう」としている作品も、人も、その時は注目を集めるかもしれないけれど、きっとほんとうの意味では人の心に響かないんじゃないだろうか。
 そして、「何かになる」ために自分の内側から出てきたものを曲げたとしたら、外からどんなにいい評価を受けたとしても、それは自分にとっては苦しみでしかないし、続かない。

 自分の内側に正直であり続ける、そこから出てくるものを自分のやり方で世界に表現し続けること、そうやって人生を創っていくこと、それしか私たちにはできないのだとラダのラップは思い出させてくれる。




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