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無理はしなくていいという風潮

自分を1番大切にして嫌なものや人からは距離を取る。

仕事が人生ではないし、
他者との比較ではなにも生まれない。
嫌なことは嫌、無理なものは無理、飲み会には参加しなくて良い。家でゆっくり過ごそうよ。

こんな謳い文句が最近、お前ら頭の悪くて考えられない人間はずっとその場にいろよ。
勉強する、やりたいことを見つけた俺らはお前らを踏み台にして行くからな。

と言っているようにしか取れなくなって来た。

確かに色々な仕事が世の中にはある。
それに、仕事への捉え方だってたくさんある。
子育て、産休育休。夫婦共働き、夫より妻の年収が高い

フリーランスの人も増えて来たし、アフィリエイト(詳しくないですが)なんかも出て来ている。

かく言う私も自分のやりたいことを仕事にしている訳ではなく、毎日こんなはずではなかった。と思いながら仕事に行って帰っての人生。

評価されても楽しくも嬉しくもなく、だからなんだってんだよ。と言う気持ち。
もちろん何かを達成しても、自己肯定感が上がる訳ではない。

本当にやりたかった仕事は未経験では入れないし、
転職活動でもことごとく祈られた。

要は私が今までやって来た仕事や歩んできた人生の道は、その職業に繋がっていなかったのだ。

割り切りたくてもなかなか割り切れない。

であれば、その分野に近づけるだけの勉強を。と思ってみたものの

どうせその業界には入れないのに勉強してどうするの?
何のために勉強するの?空虚な自分を見たくないから勉強して目を逸らしてるの?

こんな思いが頭を巡ってしまう。

確実にやらなければならないこと
今やらないと取り返しがつかないこと
今すぐやれば間に合うこと

このどれもをずっと逃し続け、見逃し続けているように感じてならない。

このままで良いのだろうか?という焦りは総じて
今自分が何をやればいいのか。
今自分が逃しているものはなにか
今自分が出来ることはなんなのか

この点をわかっていない事が多い気がする。

私はカフェや通勤電車などで、勉強している人がいると焦る。

自分の仕事には資格がなく、日々頭の回転と機転で乗り切っている。

働いていて資格や勉強する機会がある人間って、絶対私より優れているよな。

何か自分も勉強しなくちゃいけないよな。でもなにを?

自分の軸、自分の仕事に必要なもの、
もちろん仕事だけが全てではないが、
こんなものが自分の生活に必要である。
こんなものが自分の好きなことだ。
好きやことを仕事にするためにはこれが必要だ。

あぁ、また仕事仕事だ。
プライベートで取りたい資格を思い出してみると、

やっぱり頭の中の自分が

「それって本当に必要なの?」
「それって何の役に立つの?」
「それ取ってやりたいこと出来るの?」
「惨めな自分から目を背けたいから勉強するの?」

と問いかけてくる。

あぁ。死んでしまいたいな。
毎日仕事や生活を頑張って来たけど

学生の頃に思い描いていた自分ではとっくになくなっている。

今年30歳になる自分を昔の自分が見たら自殺してしまうかもしれない。

夢も目標も希望もなく、好きな事もよく分かっていない

傷つきながらも人のことを思って、色んなことに手を差し伸べて来た自分に残ったものなど一つもない。

結婚したって、自分自身のつまらなさは変わらなかった

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