終わらない高速スピン~老犬介護~
現在、私は15歳と2ヶ月のシニア犬の介護中です。
5年前に介護中の母が糖尿病を発症し、時を同じくして
愛犬10歳もまた、同じく糖尿病を発症しました。
合併症もなく安心していましたが、2年前に母が亡くなって1週間ほど経ったころから、愛犬に異変が起こったのです。
かなりハードだった母の介護に、寄り添い続けたのは、
私である!!と思っていましたが実は、一番心に寄り添っていたのは紛れもなく愛犬はっちゃんだったのではと気付かされました。
母の死後、私は介護後うつとなり、喪失感と向き合うこととなりました。
同じく、まさかそんなはずはと思っていた愛犬も同じように喪失感に苦しんでいたのかも・・と改めて気付かされるような異変が起こりました。
やっと、愛犬と一緒に2階の寝室で眠れると思ったのもつかの間、
徘徊と1階へ下ろせ!催促の嵐・・・
母の死後1週間で私は再び1Fへ逆戻り。今度は母の和室ではなく、リビングで愛犬と眠ることにしました。
異変は、1階で眠るようになってもおさまることはありませんでした。
2階の階段に上ることができないはずなのに、階段の途中まで上り、上り切ることもできず、かといって降りることもできず、一晩中細い階段で震えていたり、夜中にウロウロと歩き回ったりと落ち着かない様子が増えていきました。それと同時にぼーっとすることが、日に日に多くなっていきました。
認知か?老化か?寂しさか?
できるかぎり、仕事のない日はそばにいるように心がけ、声をいっぱいかけるように心がけました。
お休みの日の散歩は、刺激を与えるためにいろいろなところへ散歩へと
出かけていきました。
しかし、老化と病気は誰も止めることはできませんでした。
去年の12月に、初めての痙攣発作が起きたのです。
腰が抜けたかのようにいきなり、腰から地面へと砕け落ち、白目をむいて
険しい顔で、手足をバタバタと震わせ痙攣したのです。
痙攣が終わると急にものすごい勢いで走りだしたのです。
そして部屋のすべてのものに体当たりしながら、猪突猛進です。
その都度危険なものは除外しながら、落ち着くのを待つしかありません。
下手に抱っこしようものなら、暴れるのでなおさら危険。
ただただ怪我がないように見守るしか手立てはありません。
かかりつけの獣医に電話をして、対処をお聞きして、落ち着くのを待って
来院。
病名は「てんかん。」発作
はじめの頃は、月に1回程度だったてんかん発作が、2週間に一度になり、
1週間に1度、ついには、2日を待たずに、一日何度も発作を繰り返すように
なったのです。
痙攣後、勢いよく猪突猛進に走り出す体力は徐々になくなり、ひたすら
旋回をするようになったのです。
その旋回は、徐々に加速を増し高速スピンへと進化し、倒れ込みフィニッシュ・・・と思いきや立ち上がり、旋回→高速スピン→フィニッシュを
ほとんど休み無く1日中歩き回るのです。
もちろん、その合間をねらって襲ってくる痙攣発作。
座薬を処方されましたが、すぐに排出物と一緒に出てきてしまう始末。
座薬が出てきたのを確認したときの絶望感と虚脱感は半端ないものでした。
もう終わりがないのです。
フィギュアスケート選手なみの高速スピンは手がつけれず、やるせない気持ちに毎回胸がしめつけられます。
年齢は14歳から15歳を迎え、持病の糖尿病、心臓病、肝臓病とあるなかで、
体力もないはずなのに、脳の伝達がうまくいかず、痙攣後の奇行は、見るのも辛い・・・
心臓がもう持たないのではと気が気でなりません。ほんの一瞬だけ眠りに落ちる瞬間の愛犬に何度も何度もコレが最期かも知れないと・・
抱きしめながら泣き崩れる毎日が1ヶ月続きました。
しかしようやく10日前から処方された薬が効き始め、落ち着きを少しずつ取り戻し、よく眠るようになりました。
発作が激しいときは、「もう頑張らなくていい。楽にしてあげたい。」
1日でも長く生きてほしいと願う気持ちから、長く生きなくてもいい、ただただ穏やかな最期をと願う気持ちに変化し、今は「食べて眠るだけで感情のないはっちゃん。幸せなのかな。」と違う形の悩みが出てくる。
私はなんて欲深いのだろう・・と思う。
たくさんの涙を流した1ヶ月、ほとんど寝ずの介護は心身ともに疲れ果てましたが、たくさんの学びがあったのも事実。
まさに己と向き合う時間でもありました。
はっちゃんの頑張りは、本当に本当に学びしかありません。
そりゃ、本音を言えば、外に出ずつきっきりのこの見守りは辛い!!
綿密に言えば、リビングからでれないのは、辛い!!
けれど、辛いなかに幸せもある。まさに背中合わせのこの介護生活。
今日もはっちゃんが大好きな童謡「虹」を歌ってそぉーっと背中を
さすり、「おやすみなさい。」のキスをしよう!!