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プレゼントの包みの中には -2-【全3回】

今回は、大学の「社会学」の授業で書いたレポートに加筆・修正を加えたものを投稿します。

「社会学の考え方を使って、世の中の事象を考察する」というのが授業のテーマで、ここではカール・マルクスの提唱した考え方を用いています。

ちなみに、これは2年前に書いた文章。読み返しながら、必死に文献を漁っていたあの頃の自分を思い出しました。

今後も授業を通して書いたものを、時々お見せしたいと思います(せっかく時間をかけて書いたことだし)。

ぜひ、下の記事からお読みください。



4. 贈り物とマルクスの「物象化」 ①商品の生産

まずは、商品すなわち腕時計が生産される段階を考えてみる。

腕時計を生産するには、細かい部品1つ1つを製造したり、それらを組み合わせたりする必要がある。この作業を行うために必要なのが、私たちの労働力だ。

前章で触れたように、労働があるから商品に価値(使用価値と交換価値)が生まれる

ブリタニカ国際大百科事典の物象化のページには、物象化は「『社会的諸関係』が物として現れる転倒性をさす概念」のことで「商品の価値は人間の労働が対象化された労働生産物であるがゆえに付与されるものであるにもかかわらず、商品が本来物自身として有する自然的性質であるという幻想を生み出す」との説明が書かれている。

今回の例でいえば、労働力が生み出した腕時計の価値(時間を知るのに便利という「使用価値」や他の商品と交換できるという「交換価値」)を、あたかも腕時計が元々もっている価値のように錯覚してしまうことである。

これが物象化であり、換言するならば、本来目に見えない人間の労働関係が「商品」という形をとって現れているといえるだろう。

ここまで商品に含まれる労働力について考えてきたが、ここで労働力を生み出す主体(労働者)にも目を向けてみよう。マルクスは『資本論』の中で、労働者の性質に言及している。

労働力が商品として市場に現われるのは、ひとえに労働力がその持ち主である個人、すなわちその所持者自身によって商品として提供ないし売却されるからであり、(中略)労働の所持者が労働力を商品として売却できるためには、その所持者はその労働力の自由処分権をもっていなければならず、自分の労働能力の、あるいは彼という人物の自由な所有者でなければならない。そのような彼と貨幣所持者とが市場で出会い、対等な商品所持者としてたがいに関係を結ぶ。

労働力をもつ個人、すなわち労働者は当然ながら物ではない。

しかし、労働者は自分自身を「商品」かのごとく市場に提供し、資本家に雇われるという形で売却する

このことを田上は、労働者が自身がもつ人間性であるところの「人格」は「手段として売り買いされてはいけない」ものであるにも関わらず、労働者自らがSache(ドイツ語で「物件」のこと。手段としての売り買いが可能なもののことを指す)になっている(田上 2011:40-42)と指摘する。田上は「物象化」のことを「PersonのSache化のことである」と定義しており、彼の解釈に則ると。ここでも物象化が見られるのだ。

また、労働者は誰かによって雇われている人々である。「雇われる」という受身の立場上、雇い主のいいように扱われることもあるだろう。ここでいう「いいように扱われる」とは、利益を増やしたり、損失を減らしたりすることを目的に、雇い主が労働者の給料を下げたり、労働者を解雇したり、労働者に長時間労働をさせたりすることである。労働者が望んでいないとしても、雇い主は「雇っている」という立場でこれらを行うことが可能だ。このとき労働者は雇い主によって、まるで意思をもたない「物」であるかのように扱われると考えることもできる。

このように、商品の生産段階においては、労働力が商品のもつ価値を自然的なものだと錯覚させたり、労働者が自身を「物」のように扱い、雇い主に「物」のように扱われたりする点で、物象化が起きているのだ。

「物」の裏側に労働に関わる「人間関係」が隠れているといえる。


5. 贈り物とマルクスの「物象化」 ②商品の購入

次に商品、ここでは腕時計を購入する段階を考えてみる。

百貨店で購入する、オンライン上で購入するなど購入形態は様々考えられるが、どれも「お金と腕時計を交換している」ことに変わりはない。当たり前だが、商品の購入には「お金」と「商品」が必要なのだ。

私たちが労働者である限りにおいて、「お金」は労働の対価として支払われるものである。「お金」は、雇う/雇われるという労働の人間関係の中で生まれるものだから、そこには「目に見えない人間関係」が隠されているといえるのだ。

また、マルクスが商品とお金の交換に言及した箇所を見てみると、

W-G。商品の最初の転身または転売。商品価値が商品の肉体から金の肉体へと飛び移ることは(中略)商品の命がけの宙返りである。

と書かれている。

W、Gはそれぞれドイツ語の商品、ドイツ語のお金の頭文字である。この部分を池上は、商品のもつ本質、つまり労働がお金の中の本質に変換される過程が商品を購入するということだ(池上 2009:74-75)とまとめている。

商品の本質が労働であること、商品には人間関係が隠れていることは、前章に述べた通りである。

このように、商品を購入する段階においては「お金」と「商品」それぞれに目に見えない人間関係が含まれているのだ。

〈次回に続く〉


【参考文献・URLリスト】

  • 池上彰,2009,『池上彰の講義の時間 高校生からわかる「資本論」』集英社.

  • 井上理,1979,「贈答行動にみる日本人の人間関係についての一考察--贈り物とお礼の第1次調査資料より」『年報社会心理学』20(1):29-50.

  • 今村仁司,2007,『社会性の哲学』 岩波書店.

  • 小熊英二,2012,『社会を変えるには』講談社現代新書.

  • 田上孝一,2011,「マルクスの物象化論と廣松の物象化論」『現代理論』48(2):40-49,(https://www.jstage.jst.go.jp/article/peq/48/2/48_KJ00009361566/_pdf/-char/ja).

  • デジタル大辞泉(https://daijisen.jp/digital/).

  • ブリタニカ国際大百科事典


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