あなたの価値とわたしの価値 -2-
今回も、前回に引き続き「人の価値」についての自分の考えを整理していくことにする。内容に目を通しながら、ぜひみなさん自身の考えと比較したり、自分なりの考えを構築したりしていただけたらと思う。
「人の価値」について考えることは、人たる「自分の価値」について考えることに他ならない。このnoteが、みなさんが「みなさん自身の価値」と向き合い、それに気づくきっかけになることを切に願っている。
▼前回書いた記事はこちら
▼上の記事の(ちょっと長めの)要約
前回は自分の考えを紹介するに留まっていたので、今回以降は考えを解説していきたいと思う。内容がボリューミーになると予想して、数回に渡ってこのトピックを扱うことにした。
本題からは大きく逸れるが、僕はかなりのドラマ好きで、動画配信サービスを愛用している。自分が使ってるサービスは親切にも、本編配信後に、各話のダイジェスト(話の大筋を数分にまとめた動画)があげられることが多い。
同じドラマ好きにしか伝わらない表現かもしれないが、前回はダイジェストで、こちらが本編だと思って読んでもらえると楽しめるかもしれない。
価値とは何か
ここまで、幾度となく「価値」という言葉が登場してきた。が、そもそも「価値」とはなんだろうか。まずは、ここを定義することから始めよう。
ネットで「価値」と検索したところ、次のような説明を見つけた。
ここでは、価値が3つに分類されている。
1つ目は「役立つかの度合い」である。掲載されている2つのフレーズは、それが使用されるであろうシチュエーションは違えど、どちらも「価値を判断する主体が、何かにとって役に立つと主観的に決めている」点が共通している。このことは、それぞれの文に「私」という主語を補ってみると、分かりやすくなるだろう。
「これは私にとって読む価値のある本です」といえば、「その本を私は、私にとって役に立つと、私なりに考えている」という意味であるし、「私にとって価値のある一勝になった」といえば、「その勝利を私は、私にとって宅に立つと、私なりに結論づけた」ことになる。
換言すると、ある主体による主観的な評価が「価値」なのである。役立つかどうかを決める主体が存在すること、加えて、主観的な評価であることが、ここでいう「価値」の大きな特徴だ。この部分を「読む価値のある本」のフレーズから、もう少し考えてみたい。
読む価値のある本を決めるもの
みなさんには「読む価値のある(と思う)本」はあるだろうか?
瞬時に何冊も思い浮かぶ人がいれば、一冊も思いつかないという方もいるだろう。
答えられなくても心配はない。質問に対して答えられるかどうかは、全く重要ではないからだ。大事なのは、この質問に対して、今「あなた」が「あなたなり」に価値のある本を考えたということだ。
あの本は読む価値があるな。この本は、んー読む価値はないかもな。
これまでの経験を辿りながら、読む価値のある本を他でもない「あなた」が考えた。これが「役立つかどうかを決める主体が存在する」ということだ。逆説的に言うと、あなたがいない限り、本に価値は生まれない。だから、この定義における「価値」は、誰かによって生み出されるものなのだ。
その価値は、ある主体の主観に基づいて決められる。Xという本があった時に、Aさんは「価値がある」、Bさんは「価値がない」と言うのは、それぞれが自分の中の基準で判断をしているからだ。また、Aさんの中で、本Yは「価値がない」と思ったのなら、XとYを区別する何かしらの基準も存在する。
つまり、「役立つかの度合い」という意味における「価値」は、主体による主観で決まる。「価値」を持つ主体と持たされる側は、まさにコインの表と裏。価値を与える側と与えられる側は、切っても切れない関係にある。
作品と作者の結びつき
本にしても、僕が好きなドラマにしても、それを創造する主体がいる。「創造する主体」というと、アーティストに限定された響きがあるかもしれないが、そういうわけではない。例えば、ドラマ一本を制作するのに、ものすごくたくさんの方が関わっている。監督を始め、脚本・音響・照明・美術・俳優・小道具など、数えればキリがないほど多くの仕事の積み重ねが、一つの作品を作り上げる。
AIが一から作った作品は別として、世に生み出されたものには、大なり小なり人間の手間暇がかけられている。このことを、私たちは頭で理解をしている。映画を観た後に「脚本がイマイチなんだよな」と思ったり、誰かの文章を読んだ時に「この人って面白い」と感じたりするのは、そのものの背後に人がいると、分かっているからである。だから、もの自体の評価を、それを作った人の評価に結びつけたり、すり替えたりしてしまうのである。
一度、話をまとめてみる
僕は、「人の価値」は2種類あると考える。
1つは「その人自身の価値」であり、もう1つは「その人が生み出したものの価値」である。誰もが、この二重の価値を抱えながら生きている。
今回触れた「役立つかの度合い」を意味する「価値」は、まさに2つ目の「人の価値」にあたる。「その人が生み出したものの価値」には、
・他者から評価されることで価値が決まる
・常に変動する
・同時に複数の種類の価値をもつこともある
という3つの特徴があると前回述べた。
ここで、他者から評価されると言ったのは、それは「誰かによって主観的に評価をされるもの」だからだ。主観的だからこそ、評価をする相手やタイミングによって、その価値は変動する。
同時に複数の価値をもつといういうのは、2つの意味がある。1つは、複数の種類を持つということだ。その人が別の種類のアウトプットをしていた(例えば、小説と絵画をかいていた)とすると、生み出した「小説」と「絵画」それぞれに対して、誰かが主観的に価値を与えることになる。この時、複数の価値が同時にあることになる。もう1つは、複数の人に評価をされるということだ。先の本Xの例のように、同じものでもそれを見る主体によって「価値」が異なるケースがある。
こうして「その人が生み出したもの」は、誰かに触れられることによって「価値」を生じることになる。それは、その人そのものの評価では無いにしろ、価値を生じるものと価値を生じるものを作る人との切れない関係により、あたかも「その人の価値」のように見えてしまうことがあるのだ。
【次回に続く】
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?