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時間切れ!倫理 96 ブッダの死とその後

(ウ) その他
 その他は試験対策用語として見ておいてください。ブッダの教えの四つのエッセンスのことを四法印(しほういん)といいます。一切皆苦(いっさいかいく)、全ては苦しみ。諸行無常、諸法無我、涅槃寂静。先ほど出てきました。
 五戒。仏教徒の五つの戒律です。不殺生戒(ふせっしょうかい)、生き物を殺すなかれ。不偸盗戒(ふちゅうとうかい)、盗むなかれ。不邪淫戒(ふじゃいんかい)、夫婦関係以外の肉体関係はダメですよ。不妄語戒(ふもうごかい)、嘘をついてはだめ。不飲酒戒(ふいんじゅかい)、お酒を飲んではいけません。これが五戒です。
 それから慈悲です。慈悲は仏教のキーワードです。悟りの境地は誰にも伝えることはできないと思いながらも、ガウタマは最終的には、一人でも二人でも自分の教えによって悟りを開く者がいるかもしれないと考えて、布教を始めた。これは彼の慈悲です。慈悲の「慈」はいつくしむ。「悲」は悲しみという字ですが、これがよくわからない。ある本によると、誰かが悲しんでいる時に一緒に悲しんであげること、と書いてありましたが、ズバリいえば、これは寄り添うということだと思います。誰かが苦しんでいる時に、その苦しみは分かち合うことはできないが、しかし横にいることはできるよ。「なにもできないけれど、そばにいてあげる」、これが「悲」だと思います。あくまで私の考えで、一般的かどうかは知りません。
 飛躍するかもしれませんが、この「悲」が、のちの大乗仏教の菩薩を生んだのではないかと思います。

(エ) ブッダの死とその後
 仏教のその後です。イエスは、追い回され、捕まえられ、最後は処刑される、という悲惨な目にあいますが、ガウタマにはそういうことは全くありません。布教活動を始めると、各地のクシャトリヤやヴァイシャ身分の人達にすごく歓迎され、全く迫害をうけることなく、インド各地を回って教えを説きます。どこに行っても大歓迎。なにしろ、仏教はバラモン教と違って、身分制度に反対していますからね。
 平家物語の最初に「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声諸行無常の響きあり」とありますが、祇園精舎というのはインドのある地方の有力商人が、ガウダマ=シッダルタのために作ってあげた別荘です。ガウタマさん、ここに滞在して布教してください、という風にして作った別荘です。こんなふうにして、あちこちに招かれて布教する。たくさん弟子もでき、彼らを引き連れての旅行の途中で亡くなります。亡くなった時に、頭が北だったので北枕は縁起が悪いといわれる。
 ガウタマ=シッダルタは紀元前5世紀くらいの人です。この頃にはまだ紙はありません。ですから、ブッダの教えを誰も書き留めていません。教えは口伝です。弟子たちが暗記しているわけです。ガウタマが死んだ直後、各地にいる弟子たちが、ブッダの教えを確認しようと集まります。間違って覚えていないかどうかを確認する。これを仏典結集(ぶってんけっじゅう)という。
 確認の仕方は、弟子の一人が「私はこう聞いたうんぬんかんぬん」という。それを周りのみんなが聞いていて、「俺もそう聞いた」「そうだ、そうだ」とみんなで確認していく。こんなふうにして、弟子たちがブッダの教えの確認大会をしました。この仏典結集は、ブッダ死後の直後、100年後、紀元前3世紀と紀元後2世紀の4回、おこなわれています。
 やがてブッダの教えが文字に書かれるようになると、このようなことは行われなくなりますが、お経には仏典結集の痕跡が残っています。お経の最初は、必ずこの言葉「私はこう聞いた」から始まります。日本に入ってきているお経は、中国で中国語に訳されているので、漢字でこの言葉が書かれています。四文字で、「如是我聞(かくのごとく我聞く)」。そしてそのあとに、お経の文章が続きます。ちょっとした雑学でした。

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