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{ 21: 健康生活(2) }

{ 第1話 , 前回: 第20話 }

気がつくと、春樹は自分のベッドでかされていた。

ハリ孝之たかゆきは帰宅して、自分はぶじ朝をむかえたのだと期待して部屋を見渡みわたしたが、さきほどと同じく、かれ椅子いすに座って春樹を見つめていた。

大丈夫だいじょうぶか?」
 ハリは、心底心配したように春樹の顔をのぞいた。
「ずっとうなされていたんだぞ?」

春樹は何も答えなかった。ハリから目を背け、その代わりというわけではないけれど、先ほどいた場所をなんとなく見ていた。

信じられないことに、絨毯じゅうたんはシミひとつ残っておらず、すっかりきれいになっていた。この短時間で掃除そうじなどできるわけない。あんな風にいつもよごしてしまうのに、毎度、新品のように絨毯じゅうたんよみがえるのが疑問だったけど、その答えがついにわかった。なんてことはない、新品にえていただけだ。ご苦労なことである。

嘔吐おうとにおいもなく、部屋は何かしらのアロマで満たされていた。鼻がくすぐったくなるようなこの部屋は……いまや春樹の寝室しんしつとなったこの部屋は、カンパニー・タワーのテロ直後に入院していたのとおなじ病室だった。そして、血の採取ために日々拷問ごうもんを受ける春樹が、治療ちりょう診察しんさつをここでかえしているという点において、いまだ病室のままであった。

「まさか、たった一発で失神してしまうだなんて……」
 ハリは、たいへん申し訳なさそうに言った。
つかれがまっているようだね。もう少しだけ休もう」

「すこし休む」ということは、「またそのうち再開される」ということである。

「そうだな……ただ待っているのも退屈たいくつだし、話をしよう」
 春樹が無反応なのにも構わずハリは続けた。
「私が勝手にしゃべるだけだから、君は聞いてくれているだけでいい。単なる昔ばなしだから。私と、あのバケモノどもにまつわる話だ……」

ハリ拷問ごうもん官は、椅子いすに座ったまま足を広げ、前にかがみむと、うでひざの上に乗せた。そんな状態でも、ヒョロリと手足の長いかれは、立っているときと同じく木のように見えた。

「春樹君と私には、ちょっとした共通点がある。私も孤児こじなんだよ。君とおなじように、子供のときに両親を失い、他人の家庭で育てられた。戦争孤児こじというやつだ。君が生まれる前のことで、まったく実感がわかないかもしれないが……当時、東京は戦争状態にあった。人間とあのバケモノどもは、この街で血塗ちぬられた戦いをひろげていたんだ」

話を聞かずに無視しているはずの春樹がぴくりと反応するのを、ハリはさもおかしそうにながめていた。

「そのころはテロも日常茶飯事で、親を失う子どもは多く、私たちもそのなかの一人でしかなかった。私は当時十一さいで、弟はまだ七さいだった。あぁ、そういえば、もうひとつ君と私の間に共通することがあったな。私にも弟がいるんだよ。君と秋人君には血縁けつえんはないが、私たちの場合はじつの兄弟だった」

「私の養父は、シャン博士の同僚どうりょうなんだよ」
 ハリは続けた。
偶然ぐうぜんなんかじゃない。そのころ、カンパニーが戦争孤児こじを引き取る活動を始めていたからだ。もう感づいているだろ? 君が孤児こじとなった原因も私と同じはずだ。君の本当の親も、秋人君の本当の親も、テロの犠牲ぎせい者なんだよ」

春樹は思わず、体を起こした。そんな話、いままで聞いたことがなかった。

「やはり、聞いていなかったのだね。ムリもない……シャン博士が君に真相を教えないのにはワケがある。あるいは大人になってから話すつもりだったのかもしれないが、博士がバケモノのことを秘密にしていたのは、君たちが子どもだからじゃない。だが、それは話の本題でないし、私の口から話すことでもないだろう。我々人間とヤツらとの関係を知れば、おいおい理由も理解できるはずだ……この世には語られない歴史、あるいは語ってはいけない歴史があるとだけ今は言っておこう」

ハリは続けた。

「私と弟はカンパニー・タワーで暮らしていたんだ。タワーには、社員のための住居があるからね。それどころか、学校もあれば、病院さえもある。そこで私たちは何不自由なく、養父母のもとで育っていた。正直に言ってしまえば、タワーでの暮らしは地上で暮らしていたころよりも、充実じゅうじつして楽しいものだったよ。だから大人になっても、外には出ず、治安隊に入隊したのさ。テロで両親を失い、カンパニーに育ててもらった者としては、それほど不思議な選択肢せんたくしではなかった。命懸いのちがけの仕事にちがいないが、それでカンパニーや育ての親に恩返しできるならなんてことはない。弟も先の戦いに参加し、立派に戦ってみせた。春樹君は、だれよりもそのことを知っているはずだ……」

知っている? ぼくがこの男の弟のことを? 

「私の弟の名は、バン貴文だ」
 ハリは言った。

「ま、まさか……」
 春樹は愕然がくぜんとした。
「バ……バン隊長?」

ハリはうなずいた。

「バン貴文と私は、血を分けた兄弟だ。別の家庭に引き取られたから名前がちがうんだよ。シャン博士のように、同時に二人以上引き取れる人はまれだ。それでも大した問題じゃなかった。私たちは、カンパニー・タワーで育ったのだから。ずっと一緒いっしょだった。それなのに……」

ハリは、その両手の中に顔をうずめていた。泣いているわけではないけど、わずかにかたふるえているのはわかった。春樹はだまってその様子を見ていた。

「弟はいいヤツだっただろう?」
 やがて手の中からハリは顔を上げた。
「悲しいことだよ。弟が命をかけて守った君をなぐらないといけないだなんて……」

「そんな話を聞いて、ぼくがあなたを好きになるとでも?」
 春樹は言った。

「いや、その逆だ」
 ハリは首をふった。
「私はあのバケモノどもを絶対に許さない。ヤツらをこの世界から一掃いっそうするまで、君をなぐりつづけるつもりだ。そんな私を心の底からのろってほしい」

「そんなことはどうだっていい……」
 春樹は言った。
「ここに来てもう一ヶ月が経ちました。秋人は……ぼくの弟は目覚めたんですか?」

「まだだ。かれはずっと意識不明のままだ」

「秋人に会わせてほしい……話せなくたってかまわない。せめて、顔だけでも見たいんだ」

「すまない。面会の許可はおりていない」

「父さんは? もう目覚めているんだろ? なら、父さんに会わせてくれ……」

「それもだめだ。シャン博士も重体で入院している。面会は許可できない」

「うちに帰らせてください。きれいな服も、美味しいごはんもいりません。ここは、人間の住むところじゃない。ちゃんと、血は提供しますから……」

「だめだ。君の命を守るためにも、ここにいてもらう。あのきつね面の女が、君の血の秘密に感づいているかもしれない。もしそうなら、ヤツらは君の命をねらうだろう」

「なら、せめて電子工作がしたい。ぼくのドライバーとニッパを返してください」

「だめだ!」

ハリは突然とつぜん立ち上がった。目の前に立ちはだかった大男に、春樹はビクリと体をふるわせた。

「もう十分休んだだろう。さぁ立つんだ。一緒いっしょに部屋を移動しよう。今日もきちんと日課をこなしてくれよ。期待しているからな」

ここはとても清潔で豪華ごうかな部屋だけど、テロの直後に目覚めてからずっと、春樹はどうしても気に入ることができなかった。その理由を、たったいま理解した。この部屋には、窓がなかった。風を通すための窓、外をながめるための窓がないのだ。あるいは、飛び降りるための窓が……


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