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{ 1: 前世にて }

悲惨ひさんな夢を見ることにかけてはシャン春樹の右にでる者はいない。しかも毎夜それを見るとなると、もはやのろいの域だった。

春樹は夢の内容をだれにも話したくない。起きているときは、せめて夢のことを忘れたいからだ。それはあまりにも悲しくて、痛い夢だった。そして、過去に実際に起こったことだった。過去も過去、なんの根拠こんきょもないけれど、きっと千年くらい昔の出来事だろう。春樹はこれを「前世の夢」と呼んでいた。

その夜も春樹は夢を見た。

かわいた材木と動物の油で満たされた大穴があった。春樹はその前でひざまずいていた。いや、正確にはなわでしばられ、ひざまずかされていた。口に布をめられ、さけぶこともできない状態で……

なわや布なんてものに意味はなかった。走るどころか、さけ余裕よゆうすらないのにわざわざ口と体をしばってくれる必要はない。春樹をとりまき「殺せ」とさけんでいる村人たちの熱気はすでに火のかべのようだし、くさった動物油が鼻をついてしそうだった。恐怖きょうふに負けまいと、なわにめりむほど歯をくいしばったものの、これから起こることを想像すると、体がふるえてくずちそうになる。

春樹はすがる思いでとなりを見た。おなじように口と体をしばられ、ひざまずいている者が三人いた。父と母と弟だ。まわりの村人たちと同じようにボロの布を着て、どろの水でえをしのいできた父と母と弟だ。

父の顔はわからなかった。母の顔も、弟の顔も。三人の目は布でおおわれていた。

春樹だけが目隠めかくしをしていなかった。たぶん途中とちゅうで布がきたのだろう。それか、春樹をしばった者がボロ布すらしんだのだ。目隠めかくしされて処刑しょけいの準備におびえるのと、そのすべてを見届けるのとでは、果たしてどちらがマシだったか? 

父も母も何やら大声を出していたが、さるぐつわのせいで何を言っているのかわからない。理解する気も起きなかった。弟はただ泣きじゃくっていた。これから死ぬ家族の声なんて聞きたくない、せめて耳をふさいでほしいと春樹は思った。

老人が大きな松明を持ってやってきた。燃え盛る松明はなぜか血のような色であり、春樹はその火を食い入るように見つめた。老人は春樹と目があったが、気にもとめずに松明を穴に投げ入れた。

やめてくれと思いながらも、春樹は燃えだした穴を見た。それ以外に見るものがなかったからだ。となりを……弟の顔を見てはいられなかった。

やがて穴が燃え盛ると、顔の周りが熱くなった。恐怖きょうふでにじみ出た油のようなあせとちがい、ずっと水っぽいあせが体中からきだした。それは、穴を囲んでいる村人たちも同じだった。牛のクソと土にまみれて暮らす農民たちのあか、それと顔にできたモノのあぶらあせ一緒いっしょに蒸発し、あたりはにおいでむせ返った。みなくさりはじめたような酸っぱい体臭たいしゅうだった。でも村人たちはそんなこと気にもせず、興奮の面持ちでことが起こるのを待った。中には歌いだしそうなほど笑っている女もいた。

「もういいだろう」
 さきほどの老人が言った。
「火は十分に燃えている」

もっともだと春樹は思った。これだけ威勢いせいよく燃えていれば、楽に死ぬことができるかもしれない。どうせなら楽にいけるほうがいいだろう。なんのなぐさめにもならないのに、火の勢いしか春樹がすがれるモノはなかった。いっそのこと、自分から穴に飛び降りてしまおうか……

そう思った矢先、村人のひとりが父の背中をけとばした。穀物をめたあさぶくろのように父は穴の中に落ちた。父に火がついた。つづいて母、弟が落とされた。その様子を他人事のように春樹は見ていた。村人は、最後に春樹をけとばした。

春樹もあさぶくろのように落ちていった。頭から落とされたせいで顔が地面につっかえたが、それでも体の重みでズルズルとすべっていった。首の骨がきしみ、砂利が目に入り、小石がくちびるを割いても勢いは止まらなかった。痛くて痛くてたまらなかった。でも、そんな痛みすらどうでもよくなるような激痛がすぐに春樹をおそう。

火だ。火とはこんなにも痛いものだったのか。あっというまに春樹の体に燃え移った。激痛が皮膚ひふき、骨にまで達した。げつく四肢ししかみにおいで鼻がえぐれそうだった。こんなときにまでにおいを感じることが信じられなかった。だがそれも間もなく終わる。熱気が鼻から入りこみ、体の中も燃えたからだ。火は家族の体を燃料にして、さらに激しくぼくを燃やした。熱でつめがえぐれ、眼球は沸騰ふっとうし、神経にまで引火した。すぐに死ねるなんてあまい考えだった。

春樹はさけんだ。万力をこめて燃えるなわを引きちぎった。急いで口のひもをほどき、中の布をして春樹は穴のかべにしがみついた。そして動物のように手と足を回しながら穴をいあがった。父と母、弟のためにふり返っている余裕よゆうはなかった。

「助けてくれ!」
 穴のふちで春樹はさけんだ。

「おっかねぇ」
 春樹の目の前に立っていた男が言った。
「燃えてるってのにしゃべってやがる。やっぱアカメはバケモンじゃ」

村人の真っ黒な足が何本ものびてきた。村人たちは春樹を落とそうと、競い合うように足をばした。春樹はその足にすがりつこうとしたものの、手は空を切った。真正面の男の足が、春樹の鼻の柱を折った。春樹は、もはや動かない母の上に落ちた。

「ちがう、おれはバケモンなんかじゃねぇ」
 春樹はなおもわめき、火の中で立ち上がった。

村人たちは固唾かたずをのみ春樹を見つめた。皮膚ひふが焼けただれ、かみすらなくなったこの少年がまた登ってくるのかと、みな一歩しりぞいた。中にはヒッと悲鳴をらす者もいた。

春樹はそれ以上動くことなく、その場でくずちた。死ねる、死ねる……これでやっと死ねる。体はもう動かず、考えることもおぼつかなかった。その方がずっと心地よいと思った。だが春樹は生き残った。痛みも消えなかった。


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