{ 2: 前世にて(2) }

{ 第1話 }

◇

夢は続く。

春樹は家族の死体のそばで横たわっていた。あたりは暗くなり、火は消え、土も冷たくなっていた。村人たちが、春樹を動けなくなるまで丹念たんねんに炙あぶっているうちに、日はすっかり暮れた。朝になれば、村人たちは家族の死体を僕ぼくごと埋うめるだろう。いや、さすがにその頃ころは僕ぼくも死体になっているか。

村はすでに寝静ねしずまり、見張りはいなかった。みな春樹が死んだと思いこみ、安心してイビキをかいている。今朝まで家族だったものは、いまや炭となっていた。全身が焼け焦こげて、父と母の区別はつかなかった。春樹と弟だって区別はつかないだろう。みな顔の形がなくなっていた。髪かみの毛けどころか耳すらない。でも三人とも目は残っていた。

三人の赤い目が春樹を見つめていた。みな血だまりのような目をしていて、その色は死んでも変わらない。目だけがまだ顔の穴の中で燃えているようだ。それは春樹もおなじだった。涙なみだなんて一滴いってきも出ないのに、目の穴だけは湯をそそがれたかのように熱い。

穴の上で足音がきこえた。とても小さな足音で、獣けものがやってきたのかと春樹は思った。いや、獣けものにしては足取りがゆっくりすぎる。やっぱり人間だ。だれかが忍しのび足あしでこの穴に近づいているのだ。

まもなく穴の上に人影ひとかげがあらわれた。誰だれかはわからないが、黙だまってこちらを見下ろしている。小便でもするつもりか。くそが、殺してやる。春樹は呪のろいの言葉を吐はこうとしたものの、コヒュー、コヒューという音が出ただけだった。

様子がおかしい……人影ひとかげはピクリとも動かないで、ただ立っていた。村の者ではないようだ。ここらではとんとお目にかかれぬ立派な白装束を着ている。それに若い女だった。膿うみも吹ふき出物でものもない肌はだで、そんなもの赤あかん坊ぼう以外で見たことなかった。髪かみは濡ぬれたカラスのように艷つややかだ。月のおかげで、夜でもそれくらいのことはわかる。

「なるほど……」
　女が言った。
「処刑しょけい場と墓場を兼かねているのか。なかなか便利な穴だな。だが……」

女の視線が春樹を捉とらえた。

「お前さんを殺しきれていない」

女の目も血のような赤色をしていた。月光の下、ふたつの目が鬼火おにびのように浮うかんでいて、春樹は顔をそむけたくなった。赤、これよりも恐おそろしい色はない。

「待っていろ」

そう言うと、女が穴をすべりおりてきた。舞まい上あがった土ボコリが、春樹と弟の顔にかぶった。

「け……獣けものかと思った」
　春樹は言った。
「死肉をあさりに来た獣けものだとな」

とても声など出せる状態じゃなかった。そう言うつもりで口を開けただけのことだ。それでも女は、声を聞き取ったように首をふった。

「食えるところなど残っていまい……さっさと消えろ。殺すぞ」

女はまた首を横にふった。そして春樹の横にひざまずき、真っ白な手を彼かれの頬ほおに置いた。

「かわいそうに……」

「かわいそう？」

「さぞ苦しんだろう……」

春樹は泣きたかった。いまや涙なみだも感覚もなくなった身だが、その手が暖かく感じられ、嗚咽おえつしそうだった。だれかにこんなふうに手を差さし伸のべられたことはない。春樹は、女の白い手がこの世で唯一ゆいいつのよりどころに思えた。しかし、春樹に語りかける女の声はひたすら冷たいものだった。

「楽になりたいなら左手を握にぎれ。いますぐ殺してやる。だが……」

女は春樹の肩かたに手を置いた。

「復讐ふくしゅうしたいなら右手を握にぎれ。お前さんを生かしてやる。痛みは決して消えぬがな……」

いますぐに殺してほしかった。春樹は強く左手を握にぎりたかった。死んで地獄じごくに行ったってかまわない。本当の地獄じごくとは、この穴の底にあるのだから。けれど、家族を殺した奴やつらをこのままにして地獄じごくに行こうとも思わなかった。

「殺してやる……この世にいる者すべてが憎にくい。絶対に許すものか」

金輪際動かないと思っていた指がかすかに動いた。春樹は最後の力をふりしぼり腕うでをあげた。拳こぶしを握にぎりしめると、黒い右手は壊こわれ、手首からボトリと落ちた。それから灰になって崩くずれてしまった。

「いいだろう」
　白装束の女は、ちぎれた手を見て笑った。
「永久に他者を憎にくみ、苦しみ続けろ。この世に生きる者をすべて殺すまで死ぬことはできない。それがお前さんの宿命だ」

宿命なんかじゃないと春樹は思った。そんな宿命など、もはや呪のろいでしかない。春樹はなんだかおかしくなって、今や高笑いを始めた女とともに笑った。