【短いおはなし】3月4日は「バウムクーヘンの日」
バウムクーヘンの中心が盗まれていることに気が付いたのは、ついさっき。
昨日、箱を開けた時は確かに中心は存在し、逆に言えば、なくなってからそこが中心だったのかと納得するほどに、バウムクーヘンの中心はごく自然に、外側のバウムクーヘンにきれいに収まっていた。
中心があるバウムクーヘンをもはやバウムクーヘンと呼んでいいのかどうかはさておき、皆さんが想像するのは普通中心が丸く空いているバウムクーヘンだろう。職人が金属の棒に何層も塗り重ねて、少しずつ完成させてゆく作業を見たことがあるのではないか。
しかし、わたしが昨日いただいたのは、確かに中心までぎっしりと詰まった非常に特殊な技術と方法で作られた、珍しいバウムクーヘンだった。
薄い層が積み重なって、本体の形が完成する普通のバウムクーヘンとは違い、まるで自然界の一本の木を切った断面のように中心から隙間なく円形にその特別なバウムクーヘンは形成されていた。見ていて大変不思議であり、どのように作ったのか興味があった。
このバウムクーヘンをくれた知人に探りをいれて聞いてみたものの、どうやら作り方は本当に知らないようで、趣味的に作っていて、店も出していないとのことだった。ただバウムクーヘンには名があるらしく「カンタータ」と言うそうだ。
さて、困った。盗まれたなら警察に通報すべきかと考えた。そして、警察は何番だっけと分からなくなっていた。祖母の家の固定電話の前には、警察110番。消防119番とチラシの裏に書かれた手書きのメモが貼ってあり、いや分かるだろとバカにしていたが、本当にピンチの時は、そんなことは忘れてしまうらしい。
机の上には、相変わらずのバウムクーヘンがある。一見すると普通のバウムクーヘンだ。そりゃそうだ、中心がないのだから。じっとそのバウムクーヘンを見る。しっとりとしておいしそうなバウムクーヘンだ。犯人だって一番おいしいであろう中心部を盗む気持ちもよくわかる。
そこでふと思いつく。
中心だけないということは、今、残された外側のバウムクーヘンはどのような気持ちでいるのだろう。一般的なバウムクーヘンは外側のみ一人で成り立っているから、自立心が強いと判断できる。するとどうだろう。このバウムクーヘンは最初こそ中心と外側が上手く話し合い、一体化していたものの、方向性の違いから、中心と外側は分離することになった。それはこれだけ密着したバウムクーヘンが話し合いで決めたのなら致し方ないことなのかもしれないと思うと、案外納得がいった。なにせ彼ら中心と外側は我々が思う以上に深く密接な関係なのだから。
警察の通報することもなく、話し合いが済んで残ったであろう外側のバウムクーヘンと、午後にコーヒーでも飲もうと考える、木曜日の朝。
3月4日は「バウムクーヘンの日」
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