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【短いおはなし】3月1日は「マヨネーズの日」

シャネルのバックからは、マヨネーズが出てきた。赤いキャップの立派なサイズの。これは僕にとって重大な瞬間で、のちに映画化させた時には予告編で何回も流れるシーンだ。

あの子は笑顔でそんなに小さいバックからなぜそんなに大きなマヨネーズが出せるのかと四次元ポケット的な不思議を抱えたまま、取り出したマヨネーズを料理にかけた。いや正確にはぶっかけた。

イタリア料理がジャンクフードに早変わりの瞬間。繊細なシェフの舌で吟味に吟味を重ねて食材選び、調理法にもこだわり完璧に仕上げられ、その味もさることながら見た目も豪奢に、この一等地のレストランに相応しいディナーのはずが一瞬で前菜のマヨネーズのせになり、メインディッシュのマヨネーズのせになり、デザートのマヨネーズのせになり、挨拶にきたシェフにもマヨネーズを薦めていた。

マヨラーという言葉があるが、あの子にはふさわしくない。マヨラーという言葉の意義は定かではないが、なんにでもマヨネーズをつける人という共通認識があるだろう。あの子はそうではない、マヨネーズだけではさみしいからお供が必要それイコール食べ物なのだ。さみしいからラーメンをお供にマヨネーズ。さみしいから焼肉をお供にマヨネーズといった具合だ。つまりマヨラーとは逆の発想だということを知っておいていただきたい。

主食がご飯は日本人だ。主食がパンは欧米人だ。では主食がマヨネーズは何人だろう。マヨネーズを愛すあの子は何人でも関係ない。

マヨを愛するあの子を愛する。

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第1回マヨ文学賞の昨年度の受賞作品をお読みいただきありがとうございます。今年度も皆様からのマヨネーズ愛溢れる作品をお待ちしています。

3月1日は「マヨネーズの日」


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