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〖短編小説〗2月5日は「ふたごの日」

この短編は1408文字、約4分で読めます。あなたの4分を頂ければ幸いです。

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あ終わった、今終わった。

その時、田舎のおばあんちゃん家を思い出した。蚊取り線香の匂いと、夏の匂いが混じって、生まれたのが夏休み。いとこのコウくんと、海に行ったり、バーベキューしたり、蚊に刺されたりしながら花火したり。コウくんが好きなのはドラゴン10連発とかいう凄い高さに火が噴き出るやつ。さすが男子。わたしたちが好きなのは、線香花火。

どちらが生き残るか競争ね。二人でせーので火を点けてスタート。生き死にの話を線香花火でするのは、死んだ人に失礼?それとも生きている人に失礼?死んだ人は文句は言わないからいいよね。

パチ、パチパチパチ、、ぽとん。

二人同時に死んだ。まるで双子。まぁ双子なんだけどさ。その瞬間、コウ君は離れたところで、手持ちの活きがいい花火をしていた。わたしたちは、二人で静かに死んだ線香花火を見ていた。その瞬間は今必死で生きていますと過剰なほどにアピールする蝉の声や、周りの人間の声も音も息も、なんだったらこの夏の暑さもほんとなにもかも感じなかった。わたしたちがいる半径1メートルの空間がまーるい何か『まゆ』のようなものに包まれて、外からのすべてを遮断しているみたいだった。『まゆ』の中は二人だけの世界。気持ち悪っ。

二人でおつかいに行ってと、お母さんに頼まれた。わたし一人で行けるって言ったのに、お母さんは「みーちゃんも連れて、一緒に行って」って。

一人で行けるし、みーちゃんは、のろまだから嫌だって思って、口に出かかったけど。前にそれを言ったらお母さんは一瞬だけ見たことない不思議な顔をした。悲しい、怒った、笑った、泣いた、どれでもない、大人はこういう顔をするんだ。わたしも大人になったら、今のお母さんみたいな顔する時がくる。それはどんなとき?子どものわたしには分からない。でも絶対これだけは分かる。大人になっても、みーちゃんには絶対分からない。いつもへらへら笑って。怒られても笑って。わたしと同じ顔してへらへらすんな。

二人でのおつかいは、行きも、スーパーでも、なんの問題もなかった。わたしはスーパーまで先頭を歩きその後ろをみーちゃんが続く、スーパーでも目当ての物を最短距離で巡り、カゴにいれた。レジ袋も、もちろんわたしが持った。みーちゃんに持たせるわけがない。

帰りもわたしが先頭で、意気揚々と帰っていたが、元々無理に一つのビニール袋に商品を入れてもらったため(みーちゃんに持たせないため)ビニール袋が破れそうだった。

家まではまだ大分歩かなくてはいけない、道の真ん中。見事にビニール袋が破れた。買った商品がビニールからこぼれ落ち、地面に散乱する。ピーマンの緑は綺麗だということと、サバ缶はよく転がると思った。

わたしは泣いた。クラゲをギューギュー絞め殺して、水分をしぼったみたいになったビニール袋を右手に力なくもって、わんわん泣いた。

袋が破けて中身が飛び出て悲しい?「違う」

こんな大勢の前で、失敗して恥ずかしい?「違う!」

みーちゃんの前でこんな失敗して泣いてるの?「違う!!」

右手にクラゲの死体を持ったわたしの左手に、湿った暖かい気持ち悪いなにかが吸い付いた。ちーちゃんの手だ。それも両手。わたしの左手を両手で包んでいる。

右手のクラゲすぐ捨てた、落ちてるピーマンどうでもいい、転がったサバ缶くれてやる。だけど、あんなに遠いと思っていた自分は、こんなに近くにいた。

あぁ、大丈夫と思った。

2月5日は「ふたごの日」



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