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〖短編小説〗2月1日は「ニオイの日」

この短編は1419文字、約3分30秒で読めます。あなたの3分半を頂ければ幸いです。

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おめめ、パチパチ。おみみ、フムフム。おてて、サラサラ。おくち、モグモグ。

ボクが一番自信があるのは、何を隠そうおはな、クンクンである。匂いには敏感なボクは、朝起きた時から夜寝るまで、クンクン、クンクン。身の回りの、そう例えば、晴れた日の芝生でのピクニック(これは湧き上がる芝生の生命の匂いだ)や、窓を開けた時に強烈に香る金木犀の匂い(あの匂いは遠慮ってものを知らないから、あまり好きではないが)などがある。

家にいることがほとんどのボクは、寝床の匂いから一日がスタートする。昨日寝る前は、干したてのお日様の匂いがしていたが、起きた時はそこはもう自分自身の匂いになっていた。子供のころは自分の匂いは意識しなかったというか、匂うことはできなかったような気がするが、大人になると香ばしいような、なんとも不思議な匂いが漂う。子供の首元から匂う匂いは、それはそれは幸福な、なんだかあまーい匂いで、その匂いは期間限定のようだ。

そして、家族の匂いも忘れてはいけない。お父さんの整髪料の匂いと、お姉ちゃんの制汗スプレーの匂いが混じりあった匂い。ボクはこれがいただけない。人工的な匂いだからだろうか。これがもし、お父さんの整髪料の匂いは、海が近づいてきたときの、あのなんとも生臭い生命の匂いや、お姉ちゃんの制汗スプレーは、前日の夜から降り続いた雨が上がった深い深い森の中、忘れられ捨てられたように転がる大きくいびつな石にびっしりと付着したコケに顔を押し付けたような、そんな匂いがすると、ボクは朝から幸せだ。そしてその次の匂いは…。

そう、ご飯の匂いだ。なんといってもお母さんが炊いたご飯は、甘くて優しい。他にたとえようがない匂い。炊飯器から勢いよくでるあの湯気もすでにその匂いの片鱗がある。あの湯気をあつめて、なんとかいい具合にできないか模索する日々が続いている。そのほかにも食卓には、おかずの匂いが漂う。不思議とおかずの匂いは、いくら混ざってもいやな感じはせずに、皆うまく連携が取れている。おかずはどうやら仲がいいらしい。

ご飯も終わり、お姉ちゃんとお父さんが慌てて家を出る。そして、お母さんも食事の片付けがすんだら、買い物のため家を出る。お姉ちゃんも、お父さんも、そしてすぐに帰ってくるお母さんも、ぜーんぶボクは判別できる。撫でてくれる手の大きさの違いもあるが、匂いで分かるのだ。

おめめ、…。おみみ、…。おてて、…。おくち、…。

おててが最初にうまく動かなくなった。それからは、家の中のゲージで過ごすことが多くなった。

おめめは徐々に視界がぼやけるようになり、家族の顔が見えなくなった。映画を観て誰よりも先に泣いてしまうお父さんの顔が懐かしい。

おみみはすぐに何も聞こえなくなり、お姉ちゃんが必死にボールで遊ぼうと呼んでくれているのに、まったく気が付かなかった。ごめんね、お姉ちゃん。

おくちは最近まで、しっかりとお母さんが作ってくれた柔らかいご飯の味がしていたが、もう今はしない。あんなに楽しみだったご飯の時間が一日になかでもっとも退屈な時間となった。

そして、おはな。クンクン、クンクン…クンクン、クンクン。

良かった、良かった。今日も家族の匂いが分かる。どんな匂いよりも安心する家族の匂い。

***

おめめ、パチパチ。おみみ、フムフム。おてて、サラサラ。おくち、モグモグ。

ボクが一番自信があるのは、何を隠そうおはな、クンクンである。

2月1日は「ニオイの日」

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