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平成最後の夏に不自由がある人の避難を考えてみた。

平成最後の夏だ!とエモさの象徴として多くの人が楽しみにしていた今年の夏。
それなのに、地球は意地悪で、6月の北摂地震の時から、大雨による水害、酷暑、台風被害、そして今週北海道での大規模な地震。
悲しいかな、息つく間もなく今までにないほど大きな災害が立て続けに起きている。
普段科学的根拠のないことはあまり信じていない私ですら、正直、呪いとかあるんじゃないかと思ってしまうほどの夏だった。

そして、災害が起こってしまった地域の報道を目にするたび、いつも気になっていることがある。

自分や身近な人を守る適切な行動を瞬時に判断する自信がない

「避難はどうすべきなのか、全く知識がない」

「どうやって助けを求めればいいのかわからない」

子どもの頃から、火事や地震発生時の避難訓練は経験がある。
ただ、地震など倒壊が考えうる場合は頭を守ること、火災なら、一酸化炭素を吸って倒れてしまわぬよう、口に布を当ててなるべく低い姿勢で逃げる事、くらいしかわからない。

それに、必ずしも同じ場所にいるわけではないのだから、職場や学校という普段の生活の中で、建物や地理を知っていて判断をし指示してくれる人のいる場所での訓練も必要だとは思うが、自分で判断しなければいけない状況のとき、どうすればいいのか訓練するすべはないか、そういうときに自身を守る術を知りたいと思った。

また、周囲に不自由のある人がいたとき、どうやって逃げるべきなのかを具体的に考えたことがあっただろうか。

走って逃げられる人は逃げればいい。歩けるだけでもマシだ。
ただ、被災した時点で怪我をしている人、そもそも障害があって自力で逃げることに限界がある人がいる。その場で怪我をしてしまって歩けなくなる人もいるだろう。
そんな人が身近にいたとき、「助けなきゃ」と思う人が多い気がするのだ。
ただ、それによって本来逃げられたかもしれない人が逃げ遅れたりしないか、なんて考えてしまう。
例えば、歩けないおじいちゃんがいて、川の堤防が決壊したと聞いたとする。
急いで逃げたり、高い場所へ上がるべきだが、そういうとき人手が同居しているおばあちゃん一人しかいないとなるとどうすればいいのか。(事前に避難させられるのが一番良いとは思いつつも、そもそもそれを上手に促せていたりしたら被災で困ったりしないだろうし)

逃げ方の多様性を想定したことはあるか

私は膝が悪く、走る事ができないし、階段を全速力で駆け下りるとかも無理だ。
同時多発テロのビルが崩れ落ちる映像を見たとき、私は階段を駆け下りる事ができないだろうから、もしかしてあの場にいたら助からなかったかな、と思ったし、東日本大震災の津波の姿を見たときに「ああ、私は多分逃げきれなくて死んじゃうんだろうな」とうっすら思って以来、何かあったときに私はどう振る舞うべきかずっと考えている。
地震が起きれば、エレベータなどは止まる。そうなったら車椅子の人はどうやって階段を降りて逃げるのだろうか。誰かが背負って行くことしか想像がつかない。

こういう事態に直面したとき、逃げられないであろう私は、「走れないから、置いて行って、もし助かったらどこかでまた会おうね」と、その場にいる人にちゃんと伝えて、相手の安全を守れるだろうか。
どう伝えたら周りはスムーズに理解してくれるか、それとも私も一緒に助かる方法があるのだろうか、考えてみたがまだ結論はない。

身近に不自由のある人がいるなら、どうするのがいいのか考えて話しておくのは大切なんじゃないかなと思ったりしている。

歩けない人を運ぶツールをAEDみたいに建物に設置したりできないか

とはいえ、一人でも多くの人が助かる世の中であってほしくて、それはどうにかツールや仕組みで解消できないだろうかとも思う。

例えば、下肢が不自由な人が避難するときに使えるよう、簡易の車椅子に近い何かをAEDみたいに建物に設置とかできないのだろうか、と思う。
ここ最近の災害の多さに、日本全国どこにいたって何が起こるかわからない。せめて、背負って逃げるときにそれを補助する道具なんかあればいいなとも思う。
滅多に災害が起きない国ではないのだ。逃げることを補助する仕組みを建物を作る時点でもっと検討できないのだろうかと考え続けている。

会社や個人の意識も大切だけれど、もっと街ぐるみで防災ができればいい。

また、訪日外国人で被災してしまったとき、彼らは情報を得ることについて圧倒的に不自由だ。建物や職員が避難の指示をしたとしても、空港などでない限りおそらく「日本語」でのアナウンスになってしまうのではないかと思う。そういうときの多言語対応も大切だとは思うけれど、自分のわかる言語が話せる人が自分の身近にいることがわかればその人を頼ることでなんとかなることもある。こういうとき、「私は●●語が話せます」と明示することで助かる人はたくさんいるはずだ。

考えだせばきりがない。目が見えない人、耳が聞こえない人、そういうとき、本人だけでなく周囲がどう振舞ったらいいのか事前に心づもりがあるのとないのでは初動が違うと思うのだ。

全パターン対応できるとも思わないけれど、知っているということはとても大事で、一度でも二度でもいいから、そういうことを知りうる機会があるといいなと思っている。

北海道の地震・関西圏の台風の被害、とても心が痛みます。
早く平穏な暮らしが取り戻せますように。
たくさんの知り合いがいる北海道なので、僅かながら、こちらに協力しています。気になっている方はぜひ。



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