知らなかった!稲作にまつわる日本語たち
農村に住み始め、憧れの百姓の大先輩たちとお話しすることが増えてから、自然現象や食文化について「へえ、初めて知った〜!」と感嘆することが増えた。
その1つが日本の稲作と日本人の使う言葉・思想には密接な関係がある、ということ。現代では食の多様化が進み、「お米離れ」が進んでいると言われるお米の消費量こそ減ってきているが、実際「百姓の生活」は稲作なしには語れないし、「日本の文化」も稲作なしには語れないのだな、と感じている。
例えば、今でも春の田植えの時期には豊作を祈るためのお祭りが開催されたり、お正月にはお雑煮と日本酒でお祝いしたり、と日本の文化に「稲作文化」は強い影響をもたらしている。
それだけでなく、普段私たちが無意識に使っている日本語にも、日本の稲作文化が色濃く出ていることがわかり感動したのでシェアしたいと思う。
1. 雷・稲妻
例えば、雷という言葉の意味。
英語で雷を意味する"Thunder"の語源を調べると、"thunraz"というゲルマン祖語から派生しており、その元をたどれば、stunona(大きな音を立てる:ゲルマン祖語)などの派生語を生み出している、"sten"という語根が関係しているらしい。
つまり英語圏での「雷」は雷が鳴るときの音の大きさを切り取って、名前がつけられた。
それに対して、日本語の「雷」はまずは音としてはカミナリであるが、これは神がその音を鳴らすものだというふうに考えられていたからである。そして雨と田でできている漢字が表しているのは、空から稲妻が光り、ゴロゴロと音をたて近辺の田畑を潤した様子を表したものである。
そして雷が起きる際に空から地面にむかって走るのが「稲妻」であるが、稲妻の語源を調べても非常に興味深い。
〜〜以下引用〜〜
稲が開花し結実する夏の終わりから秋にかけて、雨に伴い雷がよく発生した。稲は雷をうけて結実すると信じられていたため、雷と稲を関連付けて「稲の妻(=配偶者)」と解し、「稲妻(いなづま)」または「稲光(いなびかり)」と呼ぶようになったとされる。その当時、農家の人は雷が鳴るたびに、今年は豊作になるのではと喜んだという。 (Wikipediaより)
このように、英語の語源に比較して、日本語の「雷」の語源は、単なる雷の客観的な観察だけにとどまらず、雷という自然現象への畏敬の念がこめられていることが分かる。
実際に、雷には「自然の肥料」としての効果、水中や地中の窒素量を増やす効果があるらしい。空気中の窒素を電流を使って水中に融け込ませることができるので、稲がよく育つのだ。
面白すぎる!なんで学校で教えてくれないんだ〜〜!
2. 粋(いき)
「粋ですね〜」と誰かに言われたら誰もが嬉しいはず!笑
「粋」の意味をはっきりと定義するのは難しいが、洗練されているが気取りすぎていない、という感じのイメージ (!?)。日本人の潜在的な美意識を言語化したような言葉だなあ、と思うので私は好き。
そんな「粋」もよく見たらこめへんだけど、どんな由来があるのだろう、と疑問に思い調べてみた。元々は「粹」でスイと読んでいたが、江戸時代より省略系の「粋」を「イキ(意気)」の当て字で読ませるようになったらしい。
ふ〜ん、なるほど。
「卒」には「死ぬ・おわる・完全」の意味があり、米を組み合わせることによって、「粹」は完全に精米した状態の米を意味する。玄米でない白米、つまり「まじりけがない」を意味する、ということらしい。
奈良時代から精米されたいわゆる白米が食べられるようになったが、あくまでも白米を日常的に口にできたのは貴族など上流階級だけ。一般的に普及し始めたのが江戸時代らしく、綺麗に精米された様子が洗練された「粋」のイメージになっているのは納得できる。
3. 稲作文化≒日本文化 と言っても過言でない?!
ふとした思いつきで調べ始めた、米作りと日本文化(特に日本語)の関係、とっても面白い。米作りに関連する日本の祭りや習慣があることはなんとなくわかっていたけど、普段使ってる日本語にも意識せずとも深いつながりがあるんだ、ということがわかった。
「稲作文化≒日本文化」といっても過言ではないのでは!? 日本人たるものお米の栽培のサイクル見るべきだよな、経験するべきだよな。もうすぐ9月に迎える人生初めてのお米の収穫、もっと楽しめそうな予感です!
ではでは🌾
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