邦人有名俳優の自死に思うこと


「じし」という言葉。一年のうちに何度ほど使うことがありますか。

私の使っているパソコンでは、「じし」という言葉を変換しても14番目に出てくるほど、
日常とは縁遠いワードのようです。

いえなかった何か、
発散できなかった何か、
バランスがうまいこといかなかった何か・・・の果ての選択に。

私たちは
文句は言えないわけですよね、きっと。


こちらがいかに悲しくても、
どこに感情ぶつければいいのかわからなくても、
自死は悪いのかもってどこかで教えられた価値観で判断していたとしても。


だって、
そうしたかったんだもん。

だって、
そうするのが一番心地が良かったんだもん。

そうすることが精いっぱいの選択だったんだもん。


それは、本人のみぞ知ること。

そう、選んだのなら、
それを「そっかぁ。そうしたかったのね。うん、わかったよ」って
そう思うことで、いいというか、そう思うしかないというか。


というか、
苦しみや、もどかしさや、自分があるようでないような・・・
ふわふわと宙に浮いた感じ・・・なのかな
そう想像しちゃうけど。

そんな渦中にいた人に、「もっと生きて欲しかった」なんて言えない。
思ったとしても、ね。

本心では、見たかったよ。
出演予定を隅から隅までウォッチするほどのファンではないにしても、
いくつかの共通点があることを知ってからは、気になる存在になっていたんだもん。

最近の、テレビ越しで見る彼の眼の奥は、
何を捉えているんだろう?何を見て俳優業を続けているのかな?
と興味深く見ていたところだった。
それほど、何か興味深い目の奥をしていたように感じます。


30歳になるこの年に、どんな風にその体をなすのか、
興味深く思っていた矢先でした。
どれだけ言っても、こういう発言は尽きません・・・


私がして差し上げたいこと、

もし自分が、その立場だったら、どう言ってほしいか。


「そっか、●●ちゃんはそうするのが一番したかったことなんだよね。

いや悲しいけど、うんそうか。

正直めちゃくちゃ悲しいよ、本音は。

でも、なんで相談してくれなかったんだよ、なんでもっと生きてくれなかったんだよ、なんて言葉はきっと、どこかで●●を否定する言葉なのかもしれないね。

なんだよ、勝手に先にいってんじゃねーよ!って言いたくなる気持ちなんてあるにきまってる。

でもそうじゃないよね。●●が求めてたことってそうじゃなかった、その選択こそが心地よいんだよね、今。

じゃあ、そうするよ。今になっちゃったけど、お前がしてほしかったことを今するよ。

そのままのお前にALL-OKなんだよな、きっと。

そういいながら、言い聞かせてる、自分に。
少し、ゆっくりしてくれよな。

復活したら絶対に来世を生きること。

俺が生まれた時代に合わせて生まれてくること。

言ってやるからこのときのこと、急にお前が逝っちまってな~って。

じゃあ、いったんお疲れ!」



ピュア
人を見て
人に配慮し
温かいまなざしでこの世の中を見つめ
周りが明るくなるのなら、自分はどうにでもなれる、演者
そのピュアさがあるがゆえに、じつは自分にも正直
自分にも嘘がつけないその正直さ

その生き方は、潔く、一点に強く輝き、強烈に人の記憶にその痕跡を残す

思う存分
ゆっくりとまったりと穏やかな気持ちで過ごしてほしいです
あぁ、この人生はこの終焉でOKだったと、そう俯瞰して笑っていてください
ゆっくりと、穏やかに、まったりと、何もせず、
どうぞ、好きなように過ごしてください

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