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JTB『時刻表』を読んで

 いつもお読みいただき、ありがたうございます。玉川可奈子です。
 ここ最近、鉄道や旅のお話ばかり続きました。たまには和歌(やまとうた)のことを書くつもりですが、ついサボり気味です。

 今回もどうか最後までお付き合ひください。

序、異彩を放つわが愛読書

 私の愛読書は、平泉澄先生の御著書(『少年日本史』、『先哲を仰ぐ』、『山彦』)や、

『万葉集』、

『老子』、

ドストエフスキーの『罪と罰』、

など数多くありますが、さうした中でも異彩を放つのが『時刻表』でせう。

峠の力餅(奥羽本線、峠駅)の下に、JTB『小さな時刻表』が!?

 今回は久しぶりのブックレビューです。「普通の」人が紹介しないであらう書籍、『時刻表』について記します。

 『時刻表』は、大きくJRで使用されてゐるものと、JTBから出版されてゐるものの二種類ありますが、私が愛用してゐるのは、後者です。何故、JTBの『時刻表』なのかといふと、こちらの方が使ひやすいからです。一例を挙げますと、会社ごとに区切られてゐるJR『時刻表』は、鉄道会社に勤める人には便利でせうが、旅をする者には不向きなやうに感じます。
 ただし、愛用のiPadに、デジタル時刻表プロを入れてをり、併用してゐます。この『時刻表』はJR『時刻表』に基づいてゐます。

 学生時代から、『時刻表』を読むのが好きでした。
 つまらない講義の際は、後ろの席で『時刻表』を熟読してゐました。私のことを何も知らない人が見たら、

 「あの女、講義中に『ジャンプ』か『マガジン』読んでサボつてるぞ」

といつたところでせう。だから、サブカルクソ女扱ひされるのでせう。

参考 サブカルクソ女

 観光事業論といふ講義がありました。
 例によつて、後ろの席で『時刻表』を読んでゐると、教授が夏休みに提出した各人のレポートについて講評してゐます。

 教授「今回、多くのレポートが提出されましたが、四年生の玉川さんのが特に素晴らしい」

 私「ふーん、私と同じ名前の人がゐるんだ」

 教授「『五能線沿線における観光事業』といふのですが、現地にも行き、かつ様々な事情をよく調査できてゐる、これはよく書けてゐます」

 私「私かい!」

そんなこともありました。

 今回の記事では、毎月の発売日の後『時刻表』を読む作業をするのですが、その一端を紹介しませう。

一、東海道本線の始発でどこまで行ける?

 二十代の頃、青春18きつぷで各地を旅してゐたころの名残りでせうか。『時刻表』を開いてまづ行ふのは、東海道本線の東京駅を発車する始発列車でどこまで行けるかを調べることです。

 東京駅の始発列車は、5:20発の321M、沼津駅行きです。かつては、373系で運用されてゐました。快速ムーンライトながら号が東京駅に着いて、東京駅発の始発列車となり、折り返して静岡駅まで帰つてゐました。

参考 373系

 321Mは、沼津駅に7:26に着きます。沼津駅で7:35発の行きの列車に乗り、8:29に静岡駅で乗り換へます。さらに静岡駅で8:31発の列車で9:41に浜松駅到着。浜松駅から9:43発の特別快速(平日は新快速)に乗り、11:47に大垣駅に着きます。
 大垣駅ではかつての名物であつたダッシュする必要もなく、12:11発の米原駅行きに乗り換へます。12:46に米原駅に着きます。そして、ここから新快速に乗ります。12:50に発車する近江塩津駅から来た新快速、車窓に明石の海が見えるので、進行方向左側に座りませう。晴れた日は、太陽に照らされた明石の海がキラキラ輝いて美しいものです。
 姫路駅には15:18到着。中華麺を使つた立食ひそばを食べたいところですが、先を急ぎます。姫路駅から、15:34発の播州赤穂駅行きに乗り、15:53に相生駅で降ります。ここで、15:56発の糸崎駅行きに乗ります。終点の糸崎駅には18:47着。さらに19:06発の列車に乗り、平日なら岩国駅に21:19着。さらに21:55発の列車で、徳山駅に23:02着。土休日なら、前記の19:06発の列車を広島駅で乗り換へて徳山駅に23:02着。そして、徳山駅から23:20発の列車で新山口駅には0:05に着きます。

 長い旅ですね。なほ、私は、東京駅発の始発列車で、大阪駅と広島県の呉駅まで行つたことがあります。

 ちなみに、この東京駅始発旅ですが、一区間だけ新幹線に乗ると、さらに西へ足を伸ばすことができます。その区間とは、姫路駅と岡山駅の間です。姫路駅15:36発のひかり511号に乗り、岡山駅まで行くと(16:02着)、下関駅に23:54着。さらに翌日の0:08に小倉駅に着くことができます。
 下りで東京まで帰るのを調べるのもしますが、今回は割愛します。
 特に大きなダイヤ改正等がなくても、定例行事のやうに上記のことを調べてゐます。

 なほ、品川駅を4:35に発車する列車があります。この列車に乗ると、名古屋駅や大垣駅あたりまでなら、東京駅始発の列車(321M)より約三十分早く着きますが、米原駅から、321Mのコースと並ばれます。新快速が少なくなり、山陽本線のダイヤが細切れかつ複雑化した弊害です。
 以前は、この品川駅発で小倉駅まで行けたのですが、今では無理です。

二、山陰本線隅々移動

 山陰本線(京都駅〜幡生駅)は、最長のローカル線として知られてゐます。
 母の故郷、かつて住んでゐた街(出雲市)、姉の住んでゐるところなど、私にとつて山陰本線とその沿線は馴染みがあり、つい注目してしまひます。
 私の好きな列車である、スーパーおきやスーパーまつかぜ、サンライズ出雲、キハ120系などが走つてゐます。観光列車あめつちにも、乗つてみたいですね。

参考 キハ120系 松江駅
参考 スーパーまつかぜ 宍道駅

 出雲市駅を大田市駅方面に出発してからしばらく行くと広がる日本海の車窓は、私の大好きな景色です。
 松江駅を西に出発してから見える、宍道湖も好きな景色ですし、宍道駅からは私の好きな木次線に乗り換へることができます。

山陰本線 宍道湖

 かつては、まるまる一日かけて小倉駅から福知山駅まで行く普通列車があつたり、滝部駅を未明に出発するいはゆるカンカン部隊(行商の婆さん)を乗せた普通列車があつたり、歴史的にも興味深い路線です。

 その山陰本線を、普通列車(各駅停車と快速)のみで移動したらどうなるか、さういふことを『時刻表』から解き明かしてゐます。

 今回は京都駅発を見てみませう。京都駅から5:31発の始発列車に乗ると、福知山駅でしばらく待つことになります。後続の列車で来た方が便利です。なので、京都駅を6:37に出発しませう。7:21に園部駅に着き、7:25に次の列車に乗り、10:10豊岡駅着。さらに10:13に浜坂駅行きに乗り、11:21に終着の浜坂駅に着きます。
 浜坂駅でしばらく待ち、12:00発の鳥取駅行きに乗り、終点には12:46到着。鳥取駅でしばらく待ち、13:10発の倉吉駅行きに乗ります。倉吉駅に14:02に着き、また微妙な空き時間があつて、次の列車には14:40乗車。そして、終点の米子駅には16:04着。米子駅からさらに乗り継ぎ、16:27発の列車で17:49に出雲市駅に到着。そして、出雲市駅から17:57発の列車で、終点益田駅には21:07に着きます。そして、ここで打ち止めです。
 京都駅を始発で出ても、普通列車のみでは島根県の益田駅までしか行けませんでした。
 また、快速アクアライナーがなくなり、島根県内の移動に時間がかかるやうになりましたね。

 しかし、裏技があります。

 浜坂駅で、11:35発の特急はまかぜ1号に乗つて鳥取駅まで行き(12:08着)、そこから乗り継ぐとどうでせう。鳥取駅から12:19発の列車で、倉吉駅着13:31。倉吉駅から13:34発の列車で、14:26米子駅着。米子駅から14:38発の益田駅行きの列車で江津駅まで行き(18:08着)、ここから18:18発の特急スーパーまつかぜ7号に乗り、益田駅(19:08着)まで行くと、益田駅から19:11発の最終列車に乗れます。長門市駅に21:00着。そして21:05発の列車で下関駅には23:08に到着します。
 なほ、山陽本線利用なら、京都駅を七時半頃に出て、下関駅には18:48に着きます。

 我ながら、こんなことをして何の役に立つのかといふところですが、この『時刻表』を読み解く作業がなんともいへず楽しいのです。マアこだはりみたいなものでせう。

三、『時刻表』に触れたとき

 私が『時刻表』を初めて読んだのは、幼いころの夏でした。山口県の母の故郷、私にとつては祖母の家にJR『時刻表』があり、よくわからないまま眺めてゐました。小学五年生くらゐでしたでせうか。

 なんとなく眺めながら、「1935」などの数字の羅列を見て、なんとなく十九時三十五分といふ時間を表してゐることを理解しました。そして、東京駅から普通列車のみでどこまで行けるか、調べてみました。当時の私の調べでは、321Mを乗り継ぎ乗り継いで岩国駅や徳山駅あたりまでは行けることを突き止めました。

 それ以来、『時刻表』を読むことが好きになりました。数多くある特急列車の愛称に思ひを馳せたり、路線図や駅名を見てその土地はどのやうなところか想像したり…。そして、年齢が上がるにつれ、路線図に書かれた路線に乗りたい、「いそかぜ」や「ふじかわ」といつた特急に乗つてみたい、『時刻表』に記された土地に行つてみたいと思ふやうになりました。
 結果的に、三十代にさしかかる前にあしはらの豊秋津島やまとの国の全ての県を訪ね、JR線に関しては全ての路線に乗車しました。

 JRの全てに乗つた今も、各地を思ひ、各地に行きたいといふ願ひはおさまつてゐませんし、あの頃とは違ふ景色を見たいといつも願つてゐます。そして、その願ひを叶へてくれるもの、それが『時刻表』です。

 また、『時刻表』は私が「鬱抜け」をするために必要なものでした。何故、『時刻表』なのでせうか。それは、私が旅が好きだつたこと、鉄道が好きだつたこと、そしてその好きなことをもつと好きにならうと決めたからでした。沈んだむらきもの心が少しずつ回復して行く様を、『時刻表』に接する度に感じることができ、『時刻表』を読んで計画したことを実行することでますます元気を取り戻せました。

 私にとつて、『時刻表』は大切な生活の一部といへませう。

 最後までお読みいただき、ありがたうございました。

 宣伝となり恐縮ですが、日本花卉文化株式会社様のマガジンに「草木と生きた日本人 続・東国人と花」を書かせていただきました。
 私は、他者の万葉論をまつたく読みませんし、読む気もありません。それらは理屈をこねくりまはし、よくわからない複雑なものにしてゐるばかりで、私の標榜する「日本学」とは遠いものだからです。彼らの努力は認めますが、内容は…です。万葉をダメにしたのは、現代の研究者とその一派でせう。さうしたものとは異なるものと自負してゐます。どうか、お読みいただけたら幸甚です。

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