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まつのことのはのたのしみ その六

 いつも見ていただき、ありがたうございます。読んでくださつたの方々の「スキ」に励まされてゐます。
 どうか、最後までお付き合ひください。

 ところで、「まつのことのは」とは和歌(やまとうた)の異称で、『古今和歌集』の仮名序にある、

 松の葉の散りうせずしてまさきの葛長く伝はり云々

といふ一節に基いてゐます。


 本題に入りませう。
 歌を作るにあたつて、ありがちなことに「上手に作らう」と力むことがあります。
 平安時代頃になると掛詞や縁語といつた手法が現れ、歌作りが複雑なものになつてしまひました。それはそれで高い技術で、学べば学ぶほどそのすごさがわかるのですが、万葉の時代にはそこまで複雑な技術はありませんでした。
 私どもは歌を作るにあたつては、まづは複雑な技術を使ふことなく、純粋に思つたとほりに表現すると良いでせう(慣れてきたら、さまざまな技術に取り組んでみても良いでせう)。


 また、歌を作る上で、あれもこれも伝へやうとしないことも重要なことで、一つの歌で一つのことを伝へるやうに意識すれば良いです。あまり、あれこれ伝へたいことを盛り込むと落ち着かない歌になつてしまひます。

 石ばしる 垂水の上の さわらびの 萌出る春に なりにけるかも

 尊敬する志貴皇子の御歌ですが、この御歌はつまるところ、「春になつたナア」と言はれただけのものです。しかし、その「春になつたナア」をいふために「岩の上を流れてほとばしる滝の上のわらびが萌え出でてくる」といふ言葉があります。ここまでの歌を作るのは困難でせうが、私はこの御歌こそ和歌の究極であると思つてゐます。
 伝へたいことを絞る。例へば、好きな人に告白する時。あなたはその人に「好きです、付き合つてください」とお伝へするでせう。もし、和歌で告白するのなら、付き合つてどうしたいのかを明らかにすると作り易いでせう。

 下毛野 花咲く園に 藤浪を いざ見に行かな かなしをとめと 

 下毛野 花咲く園に 吾妹子と 藤の盛りを たづさへて見む

 男性の気持ちになつて作つてみました。「足利フラワーパークに藤の花が咲く頃、一緒に見に行こう。愛しいあなたと」、「足利フラワーパークに恋人と藤の花のよく咲いている頃に手をつないで見やう」といふやうな意味です。足利フラワーパークに一緒に行きたいといふことに絞りました。このやうに、ディズニーランドなら、「かみつふさの 楽しき園に…」なども思ひ付きますね。

 伝へたいことを絞り、単純化する。言ふは易しですが、行ふは難しです。ここで敢へて技術的なことを記すと、「枕詞」があります。「神」の前に「ちはやぶる」が付く、それです。何故、枕詞が作られ、それぞれの枕詞にはどのやうな意味があるのか、ほとんどの学説が推測です。誰にもわかりません。しかし、歌の調べを整へ、より歌の伝へたいことを単純化する効果はあります。歌を作るのに慣れてきたと感じたら、枕詞を積極的に使つてみませう。

 つまるところ、和歌は素朴で良いのです。「公園の桜の花が風に散つてゐるナア(例へば、春の園 そら吹く風に 散る花は…)」くらゐの意味になるやうにすればそれで十分です。

 私も、大切な人と藤の花の咲く頃、共に足利フラワーパークに行きたいものです。わたらせ渓谷鉄道に乗つて、トロッコ列車から雄大な自然の景色を一緒に見るのも良いですね。密かに憧れてゐます。

 最後までお読みいただき、ありがたうございました。次回に続きます。
(続)

 宣伝で申し訳ありません。少し時期外れですが「日本」八月号に、森生文乃さんの「絵物語 橋本景岳」が掲載されました。他にも、興味深い記事が並んでをりますので、ご購読いただけたら幸甚です。

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