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思ひ出夜行 ムーンライト九州

 いつもお読みいただき、ありがたうございます。和歌(やまとうた)を愛し、日々歌に親しむ玉川可奈子です。自分ではサブカルクソ女ではないと思ふのですが、一部の私を嫌ふ人はサブカルクソ女認定してきます。面倒ですね。
 それにしても、年度末の多忙と上司の理不尽な要求に疲れ果ててます。やつと部署が変はつた、と思つてゐた矢先に…。かなふならば、明日にでも辞めてしまひたいものです。

 どうか今回も、最後までお付き合ひください。

ムーンライト九州

ムーンライト九州

 学生時代に青春18きつぷにハマり、西へ東へと旅に出たものでした。その時、夜行列車は私の大切な旅のお供でした。このシリーズの後に記すムーンライトながらを始め、数多くの個性的な「ムーンライトシリーズ」がある中で、ムーンライト九州は独特の個性を持つてゐました。

 ムーンライト九州は京都駅と博多駅間で運転されてゐました。平成三年七月から平成五年七月の一時期には、熊本駅まで足を伸ばしてゐました。以下のブログによれば、ムーンライト九州の熊本駅到着は十時十分です。

 私がムーンライト九州を知ることになつたのは、「長崎の旅」に書いた同級生が教へてくれたからでした。

 「青春18きつぷなら時間はかかるけど、安く帰れるけん。」

 彼女が長崎の実家に帰省する際に、青春18きつぷを使ひました。そして、その際に、当時「ふるさとライナー九州」の名で運行してゐた「ムーンライト九州」に乗つたさうです。しかし、

「あれは大変だつた、腰が痛くなつた」

と述べてゐたことが強く印象に残つてゐました。

 その翌年に、まさか私がそのムーンライト九州に乗ることにならうとは…。

思ひ出

ムーンライト九州

桜島へ

 ムーンライト九州には、六回乗りました。その中でも特に印象に残つてゐるのは、次の二回です。一度目は、長渕剛の桜島におけるオールナイトライブを観た帰り。そして、もう一つは、最初就職した会社を辞めた翌日から出た旅の途中でした。

ムーンライト九州

 桜島のオールナイトライブの時も、青春18きつぷを使ひました。行きはムーンライトながらに乗り、乗り継ぎ乗り継いで博多駅まで行き、そこからリレーつばめ、さらに開業して半年ほど経つた新八代駅から九州新幹線つばめに乗り鹿児島中央駅まで行きました。鹿児島中央駅到着は二十三時を回つてゐました。天文館のダイワロイネットホテルに泊まりました。
 翌日、雨予報でしたが無事に晴れてライブ会場に向かひました。街には長渕剛の歌を弾き語りする男たちが何人もゐました。
 フェリーターミナル近くのかごっま温泉に入り、フェリーに乗り桜島へ渡りました。

 帰りは、クタクタへろへろの状態でした。ライブ会場からフェリーターミナルまで炎天下を歩き、フェリー乗り場から少し歩いて鹿児島駅に行きました。鹿児島駅から特急はやとの風に乗りました。

特急 はやとの風

 桜島を車窓で眺めましたが、それ以降の記憶がありません。

竜ヶ水駅あたりの桜島

 吉松駅でさらに乗り換へましたが、絶景の車窓を見ることもなく寝てゐました。人吉の故郷で温泉だけ入り(元湯)、SL人吉号に乗つたものの爆睡しました。なんとか乗り継いで博多駅でムーンライト九州に乗りました。もちろん、爆睡でした。帰る途中、乗り換へ駅であつた浜松駅で同じ桜島帰りの長渕剛ファンがゐて驚きました。同じことを考へて実行してゐる人はどこにもゐるものですね。
 なほ、桜島のライブ会場にはそれを記念するモニュメント「叫びの肖像」が建てられてゐます。

 余談ですが、私は鹿児島県民の象徴ともいふべき、モクモクと噴煙を上げてゐる桜島を見ると、鹿児島の人を羨ましく思ふのです。鹿児島の人からすると、火山灰でうつたうしいかも知れませんが。

退職後

 もう一つは、最初に就職した会社をちやうど一年で退職した時です。
 最終出勤日の翌日、ムーンライトながらに乗り、乗り継いで、四国まで行きました。琴平をはじめ、新改駅や坪尻駅などの「秘境駅」を訪ねました。帰りの車内で、たまたま居合はせたJR四国の社員と色々とお話しできて楽しかつた。讃岐うどんも食べました。
 そして、岡山駅からムーンライト九州に乗りました。この時はただ寝てゐました。博多駅から、乗り継ぎを繰り返し、人吉駅まで行きました。
 市内の温泉に入つた後、鹿児島中央駅まで行きました。深夜のフェリーターミナルから桜島に渡り、誰もゐないライブ会場を訪ねました。朝まで市内をフラフラした後、肥薩オレンジ鉄道経由で熊本まで行きました。途中、山頭火が気に入つたといふ日奈久温泉に行きました。夜は熊本市内のネカフェで一泊しました。

 その翌日、SLあそぼーいに乗る予定が、蒸気機関車の故障で果たせませんでした。DLでの運転になりました。豊肥本線を完乗した後、別府で温泉に入りました。卒業旅行以来の、別府保養ランドで泥湯に入りました。

 日豊本線を北上し、小倉駅に向かふ途中、同じ青春18きつぷ旅行者と仲良くなりました。その方も鉄道と温泉が好きな人で、415系のロングシートで彼の持つてゐた関さばの刺身、私の球磨焼酎の武者返しで酒盛りをしました。

 偶然にもムーンライト九州に乗るといふことで、展望席で朝まで宴会をしました。なほ、ムーンライト九州はさうした五月蝿い客がゐたからでせうか、展望席がいつの間にかなくなりました。その方とは、温泉と鉄道情報を交換する仲になり、長い付き合ひとなりました(男女の関係にはなつてゐませんので悪しからず。でも、優しく面白い人でした)。

ムーンライト九州 展望車

 京都駅に着いて、東海道本線を上り、豊橋駅から飯田線に乗りました。長野駅近くのネカフェに泊まり、翌日は飯山線で野沢温泉を訪ねました。さらに只見線に乗る予定でしたが、雪崩の影響で運休になり、代行バスで会津若松駅まで行きました。磐越西線で郡山駅まで行き、そこからムーンライト東京で帰りました。

ムーンライト九州の車両

 ムーンライト九州

 ムーンライト九州の車両は、シュプール号(スキー場へ向かふ臨時列車)に使ふ14系客車でした。紅白の車両の真ん中に青く細い線が入つてゐる、個性的な車両でした。スキーの荷物を置く場所もありました(私の知り合ひで早稲田大学出身の鉄ヲタは、そこで寝たと言つてゐました。彼曰く「C寝台」。アンポンタンです)。

 足元は狭いのですが、背もたれが深く倒れるリクライニングシートでした。これが中々よく眠れるのです。椅子は硬めですが、リクライニングが深いので、横になつてゐる感覚に近いです。私は女性の中では背が高く足もそれなりに長い(モデル体型といはれます)ので、足元が狭いのが気になります。窓側だと詰まつてしまひ窮屈ですが、通路側だと通路に向けて足を伸ばすのでなんとかなります(ただし、あまり品がよろしくない…)。

ムーンライト九州 座席

 車内はいつも、ほぼ満席でした。車内放送を録音する少年、たくさんの荷物を抱へたケバいギャル、いかにも青春18きつぷを使つてゐる感を漂はす青年から中年の男性。しかし、彼ら彼女らは私にとつて仲間でした。私も似たやうなものですから。小さいトートバッグ一つに、悪趣味なTシャツを着た女子…(私)。

 日付が変はつて最初に停車する駅は、岡山駅でした。岡山に住んでゐる人にとつて、大変便利な列車でした。何故なら、青春18きつぷの一回分は、日付が変はつた次の駅まで有効なのです。例へば、23:50に発車して、次の停車駅に到着するのが0:15なら、その時まで一回分は有効です。ムーンライト九州の上り列車は、厚狭駅を23:28に発車して、次の停車駅は4:08の岡山駅でした。すると、前日に鹿児島駅あたりを出発し、博多駅からムーンライト九州に乗り、岡山駅までは一回分となるのです。岡山の人は、深夜にムーンライト九州で博多に行き、北九州を観光して再びムーンライト九州に乗り帰る、といふ凄技が可能です。若い頃なら私もそれをやつてみたいと思ひますが、さすがに今は…。

ムーンライト山陽

 また、かつて大阪駅と下関駅の間をつなぐムーンライト山陽といふ列車もありました。当初は、広島駅止まりでしたが、後に下関駅まで延びました。同じ区間には、ハリウッドエクスプレスといふUSJの客を対象とした夜行の臨時列車もありました。こちらは座席がお座敷でした。

 ムーンライト山陽は、「ムーンライト」と付く夜行快速列車では、二つ目にあたります。
 岡山まで、ムーンライト松山及び高知と併結してゐることが多く、深夜の岡山駅には期せずして多くの夜行快速列車が集まりました。壮観だつたことでせう。
 手持ちのJTB時刻表平成十一年十二月号によれば、京都駅を23:25に出発し、新大阪、大阪、三ノ宮、神戸、明石、加古川、姫路に停車し、岡山駅には3:04に到着します。そして、5:29に広島駅に着きました。なほ、この時は、ふるさとライナー山陽の名称で、自由席も併結されてゐました。五時半頃に広島駅に着き、そこから乗り継ぐと、現在の新山口駅、当時の小郡駅に8:51着、乗り継いで下関駅には10:30に着きました。いつも感じてゐたことですが、青春18きつぷ旅行において、静岡県と山口県の移動はとても時間がかかるやうな気がします。
 同じ14系客車で、私が乗つた時にはシュプール号の車両で運用されてゐました。展望席も連結されてゐました。
 しかし、平成十七年(二〇〇五)、運行を終了し、ムーンライト九州と一本化するかたちとなりました。
 私は、ムーンライト山陽には二回乗りました。大学三年生の夏、そして卒業旅行です。卒業旅行のことは、「懐かしの卒業旅行」に書きました。

 今回も最後までお読みいただき、ありがたうございました。

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