kanako sawano

"本当の私たちとは"をテーマに、スピリチュアルな神秘思想や、すべて…

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"本当の私たちとは"をテーマに、スピリチュアルな神秘思想や、すべてを内包して眺めるところについての気づきをまとめています。

最近の記事

ちきゅうかぞく屋久島リトリート-família da terra-

2023.8/14-8/17 水の聖地、虹の楽園屋久島で、 大人も子供も楽しめるリトリートを開催します♪ ------------------------------------------ あそび∞つながり∞いのちよろこぶ terra《ちきゅう》にいきる仲間たちへ いのちのよろこびを生きていますか? 愛する人々と大切な時をわかちあっていますか? 私たちの宝である子供たちと一緒に、terra《ちきゅう》で遊んでますか? キラキラな夏の屋久島で、

    • Inner Journey 感情のトリセツ

      感情はどこから生まれるの? 何度も現れてはあなたを苦しめる、 お決まりの感情はありませんか? 不信、不安、怒り、悲しみ、寂しさ、孤独感、 幻想的なあらゆる恐れ。 誰かや何かが原因で現れるように感じるけど、 それは元々私たちの内にあり、 過去の体験から生まれた、 過去の記憶=思考。 ループし続ける思い癖、妄想。 それを元に未来を予測し、 自分の心を不安にさせる。 今ここにはない、 過去の記憶で未来を予測し、 それに相応しい世界を創造し続けて、 ずーーーっと恐れと共

      • 多次元的な在り方

        宇宙、源、ソース、大いなる存在、呼び方は様々ですが、 それが私やあなたという個体を通して現したいこと、 つまり私やあなたがそれと繋がり現したいことを、 この世界へ自由に表現することができます。 私たちは多次元的な入子人形のように存在していて、 三次元重力の影響を受けやすい肉体領域の他に、 ハイヤーセルフや高次の自己と呼ばれる領域、 さらに密度や質量が軽い領域をいくつも含み、 それらはすべて重なりあい、 それらの中心であり果ては、 源に繋がっています。 個

        • 空(そら、から)を眺めて空(くう)を観る

          宇宙に向かって呼びかける声は、 自分の中心に鳴り響く。 宇宙の彼方は自分の中心。 "自分"の自は鼻からできた漢字で、 それ自体という意味がある。 体の面(うわつら、ひょうめん)にフォーカスし、 体という物質を空から分けた言葉。 空(そら)や空(カラ)を眺めながら、 自分が空(くう)であると観じる。 目の前の物質から空間(※)に視点を移す。 空間を観ていると、物質に含まれる空間にも気づく。 体や目の前の物質は粒子や音であり、 物質は空間に溶けあう幻想。

        ちきゅうかぞく屋久島リトリート-família da terra-

          自分の内側と目の前の世界を分離してない?

          自分の内側が、そのまま外側の世界に現れる。 それを探求して体験を深めていたら、 いつの間にか内側と外側を分け隔て、 分離してとらえるようなエネルギーが生まれました。 そしてやがて内側も外側もなく、 それらは一つであるという気づきが起きました。 内側は外側であり、外側は内側である。 それらを遮るものはなく常に一つである。 目の前の世界を自分の内側として、 目の前の物質も自分の内側として触れあうとき、 それに触れているのは、 それを感じているのは誰でしょう?

          自分の内側と目の前の世界を分離してない?

          鬼が教えてくれた "水と光で空気をきれいにする方法" vol 2

          一つ前の投稿に書いた、空気をきれいにする方法を教えてくれた鬼との出会いは、 "鬼"というキーワードが浮上した巡礼で、 仲間たちが私が鬼だった頃を観てくれたり、 鬼=土着の民、縄文人という情報をくれたり、 鬼は怖くないよ♪と笑顔で励ましてくれて、 内なる鬼の記憶、悲しみや憎しみを溶かすことができたのですが、 旅からもどったら、 「みつけたぞ〜〜〜」👹 というおどろおどろしい声が聞こえて怨霊みたいな鬼が現れたので、 本当の姿をみせてもらいました。 その鬼は家族

          鬼が教えてくれた "水と光で空気をきれいにする方法" vol 2

          鬼が教えてくれた "水と光を使い空気を清める方法" vol 1

          どうしたら地球の空気をきれいにできるかな? という問いの答えがまた一つ深まりました。 私は水や龍との関わりが深く、微細なエネルギーやエレメントを操るのが得意なのですが、 簡単にお伝えすると、 ◎空気中の水と太陽の光を結合して光の水をつくる ◎夜明けに蒸発する朝露に祈りをのせて空気を清める つまりマイナスイオンに働きかけます。 地球上でマイナスイオンが多く発生するのは、木が呼吸する森林や、滝の周りなどです。 滝では水がぶつかりあい大きな水滴と小さな水滴に分裂する時

          鬼が教えてくれた "水と光を使い空気を清める方法" vol 1

          地球と人の進化と生まれ直し

          人の霊が光へかえるサポートをすると、 黒く観えていた霊が本来の姿へ変化して、 やがて魂が美しく輝き放ち、 巨大な光(影がない世界)と一つになり、 "光"へ溶けていく。 宇宙存在から地球にも同じことをするように教えられ、 地球の本来の姿を観ていくと、 やがて地球は宇宙に溶けて、 "闇"が広がった。 人は光から生まれ、地球は闇から生まれた。 人は地球で体験することで 一つの大きな光を豊富にする。 地球はそのすべてを受け入れることで、 大きく深い闇を広げる

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          宇宙とのおしゃべり

          毛虫に食べられた植物を観察してたら、 食べられた植物の体の一部は消え、 毛虫の中に移動して姿形を変えた。 植物は変化して移動しただけで、なくなった訳ではない。 植物は毛虫に食べられ毛虫と溶けあい世界を広げた。 植物にはなんの恐れもなく、すごい在り方だなぁと感心していたら、宇宙に話しかけられた。 宇宙:なぜ溶けあうことを恐れるの? 私:自分がなくなりそうだからです。

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          成る事と在る事

          私は自分をすべてとして認識してます。 子供の頃からそうでしたが、 それを表現する言葉は知りませんでした。 すべてで在るとは、 "世界のなかに自分がいる"のではなく、 "自分のなかにすべてがある"ような感じです。 一人の人間である"自分"や"私"という感覚と、 "自分"や"私"はない、すべてで在るがミックスされた状態で生きています。 ただ在るだけの私は、 出会う人すべてが自分の一側面であり、 目の前のすべては自分の内側の現れとして眺めてます。 例えば友人通

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          空海と繋がる旅 高野山奥の院 平安時代の曼荼羅 真魚の雲

          紀伊山地の山深い秘境にある日本仏教の聖地、高野山奥の院で1200年以上行われている朝のお勤めを拝見しました。 僧侶たちが空海へ朝食をお供えし、一時間ほど読経されます。 お経の音が美しく重なり倍音が響き合い、スパイラルを描きながら宇宙へ立ち登り高野山を浄めました。 人気のない夜明け前の奥の院、私は戦国武将たちのお墓がとっても怖くて、 その恐れをどのように捉えればいいか、奥の院で問いかけてみました。 すると、すべての亡くなった命は私の"後ろにある命"であり、 前にある

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          体をもちながら入滅へ

          真我で在ることは自然に深まり、 それを望むことも、 それに執着することもなく、 心地好い在り方として体験します。 全でありながら個の感覚と共に在り、 真我でありながら体を通して世界を感じる時、 この星の美しさにとてつもない感動や奇跡を感じます。 ただ真我に繋がるだけではなく、 それと共に体がある、いのちがあることが、 私たちに与えられた素晴らしいギフトだと感じます。 "入滅に入る"という言葉が聴こえて、 どういう意味か調べてみたら、 「煩悩が消滅して悟

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          テレパシーを快適に

          形や物質を伴わない 新しいコミュニケーション、 テレパシックな情報伝達が ひらかれる速度があがっています。 離れていても意識が繋がりやすくなり、 誰がどんな周波数で、 どんなことを想っているか 明確に感じやすくなりました。 距離や時間や言葉が関係なく とても便利ではありますが、 どんなに心地好い関係性であっても、 沢山の方と繋がると 情報の多さや他の人の固定観念に 重たさや窮屈さを感じることがあります。 そこでまず試してみるのが ブロックやプロテ

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          信じるという貢献

          何かを理解しようとした瞬間、 あなたとその何かは分離し、 あなたは理解していない者として その何かを眺め、 理解そのものではなくなる。 理解しようとする者が 理解することは不可能だ。 例え理解したと思えても それは自分の記憶からの推測であり、 本当の意味での理解ではない。 理解そのもので在るとき、 表面的な事象の真髄にある、 宇宙の計らいや、 純粋性に気づくことができる。 ただそれを観て、 それを信頼することが、 本当の意味での理解であり、

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          松果体で捉える空海の教え

          "観自在菩薩 अव लोकित ईश्वर"それは自在に観ることができる様。 あらゆる観点から物事を眺める様。 "私"や"あなた"いう概念を超え、 ただ在るところから、 この世のすべてを観ずる真我の意識。 "私"という自我と、 "すべて"である真我。 真我はただ在り、 すべての自我が体験する あらゆることを眺めています。 私たちは自我から真我へ、 情報を提供(アップロード)するので、 自我=個という分離の側面を利用し、 真我=全は一度に多くの体験がで

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          とけあうとき

          夢が醒めて 星にかえるとき 光のうたが 私をとかす 道はきえて すべて明かされる すべての幻想を 懐かしく想い 想えることが 愛おしく 想うことも 消え去るとき 切なさが弾けて すべてへの 感謝に包まれる そしたまた再び ただ在るものとなる ------------- 感じる喜び 心よ 体よ ありがとう 私がある奇跡 -------------

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