「考える」ことは娯楽、趣味である
昨日書いた「意味のあることが正義なのか」の記事。
これに対して、「考えることは娯楽」という知見をもらった。
なるほどすぎる・・・・!
私の趣味、最高にいいじゃない!
考えることは娯楽
どこでもできて
お金がかからなくて
永遠になくなることのない
コスパ最強の趣味
なんて力強い思考だろう。
私は、意味のあることもないことも、何でもかんでも「考えることが趣味」なのだ。
考えることは楽しい。
考えたことがしっくりきたり、考えたことがうまく表現できると、とてもうれしい。
複雑なパズルのピースがカチッとはまる瞬間を、いつも探しているような感覚。
永遠に終わることはなく、でも探し続けている限り興奮は続く。
本を読んだり、映画を見たり、いいなと思っている人の話を聞いたりするのが好きなのも、単純に楽しいとか学びがあるとかだけじゃなく、「考える範囲が広がる(遊ぶ領域が増える)」からなのかもしれない。
自分一人では思いつかなかった考え方を、別の違うものや人に接することで不意に知ることができる。
そしたらそれについて、また自分で考え続けることができる。
考えることは、増殖して、永遠に尽きることがない。
自分は知的好奇心がありすぎて、知らないものを知りたすぎて、いつも何か小さな発見をしては喜んでいる地味な生き物なのだけど、みんながみんなそうではないということも知っている。
でも、なぜ自分は知りたがるのか。
制圧したいとか、コントロールしたいという気持ちなのか、、、いやそうじゃない。
やはり「知ろうとすること」で結果的に知ったことそのものよりも、その過程である「考えること」を求めているんだろう。
考えることはやめられない。
それこそ、意味があってもなくても、考えることが好きだ、いつだって何かを考えて暮らして行く、それでいい。
ちなみに今日は、初音ミクとキズナアイの違いや存在意義などについて調べたり考えたりしていた。
暇か。
(すごい奥深かったので、もっとVtuberについて考えていこうと思う)
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