実家の荷物を整理・片付けするということ
祖母が今年施設に入って、実家には父と母だけになった。
両親は共に元気だけど、ふと思い立って、「実家の自分の荷物、いい加減片付けよう」と思った。
結婚して13年ほど。
その間一切、自分の部屋の荷物を確認していなかった。
確か、教科書がそのままになっていたはず。
本やCDは必要なもの以外置きっ放しにしてしまったままだ。
せめてそれだけは、、、と思って、母と一緒に片付けに取り掛かった。
実際には、私の荷物は想像していたダンボール箱3箱くらいで、そのほとんどが学生時代の教科書と製図の授業で書いた図面の束(建築学科だった)、聞かないCD、古い本や雑誌、懐かしいVHSなどだった。
全部処分することにした。
「紙類は持っていくとポイントがついてお得なのよ」ということで、処理は母に任せ、袋詰めだけした。
それよりも、実は妹や弟の荷物が恐ろしく多いことに気づいた。
妹は結婚後アパートに住んでいたので、多くの荷物を持っていけなかったのだろう。
しかも現在はベトナムに住んでいるので、一緒に片付けができない。
テレビ電話で必要なものをちょこちょこ確認しながら、本当に必要なもの(写真など)以外は全て処分となった。
知らないうちに、両親の荷物も紛れ込んでいて、結構な量がある。
両親のいるもの(写真やファイルなどの利用できるもの)も整理して、他は処分に当てる。
私は、本などの紙類とCDなどのプラ系のものばかりでわかりやすかったけど、他の荷物は多岐にわたって、とにかく捨て方に悩むものも多い。
個人情報の入った資料(シュレッダーしなければ)、金具のついたバッグや雑貨類、シェーバーや美顔器などの家電、謎のかご、謎の缶、ゴルフボール、変なライト、ガラスと金具のついたキャンドルホルダー、オカリナ、、、などなど、何に分別すればいいんだろ?というようなものも多い。
いらないものを処分する時に億劫になるのは、「捨て方がわからない」ことのめんどくささからくるものだろう。
燃えるゴミはいいけど、不燃物や粗大ゴミは出せる日が頻繁にないから、それまで待たないといけない。
分別種類も難しい。
とはいえ、仕方ないのでよく考えて、まずはいるものいらないものを分ける。
いるものは、綺麗なボックス、または引き出しに入れて、日付と中身を記入する。
いるかいらないかわからないものは、1年後の日付を書いて使わなければこの日までに処分、と、猶予を与える。
その後、大まかに、燃えるゴミ、リサイクルゴミ(紙類、ダンボール)、不燃物、粗大ゴミというジャンルで分ける。
そのあと、不燃物を細かく分ける。
***
弟は実はだいぶ前に遠方へいってから家族にもあまり連絡がなく、私は住んでる場所すら知らない。
そのあたりの経緯は割愛するが、家族はいつも弟に会いたいと思っている。
弟の部屋にはたくさんの荷物が残されている。
それこそ、いるのかいらないのか、、、多分いらないものばかりなんだろう。
使っていた布団やクッション、DVDの再生機や小さいテレビ、服や本やCDや、整えればそのまま住めそうなくらいものが普通に置きっ放しだ。
でも、何年もこの部屋には帰ってきていない。
私は、いらなさそうなものは捨ててしまえばいいと思っていたけれど、母は、弟の分の処分はいいからね、何か残っていた方が確認できるし、私がやるね、と言った。
私ははたと気づいた。
そうか、私や妹にとっては、「実家に残してきてしまったもの」だからずっと片付けずにごめんね、処分できるものは早めにしてあげなきゃ、という申し訳ない気持ちでいたけれど、母からしたら「置き場所もあるし、そんな無理に捨てなくてもいいじゃない」という気持ちだったかもしれない。
普段から交流のある私や妹のものならまだしも、弟は連絡すらなかなかつかなくて、でも両親はいつだって会いたい存在で、そんな弟の情報が詰まったものたちを、安易に「捨てる」なんて失礼なこと言ったな〜と思った。
もしかしたら、私がいらないと思ったものでも、母にとっては思い出のものだったりするかもしれない。
部屋自体をそのままにしておいて欲しいのかもしれない。
そんなんじゃなく、ただ面倒だからまだゆっくりでいいよ、と思っただけかもしれない。
母の真意はわからないけれど、私からしたら「捨てる」のは簡単だ。
それは自分がミニアルな暮らしが好きで、無駄なものは買わないし捨てたがる性格だから。
捨てるマインドを鍛えてきたから、1年使わなければ捨てる、売れる売れないも感覚的にわかる、整理する「目」が研ぎ澄まされている。
だけど、母は多分違う。
もちろん、無駄なものは処分するべきとわかっているけど、ものは大切にしたいし、もったいないという気持ちも強いし、思い出も残したいし、一つ一つをきちんと吟味したいのだと思う。
とはいえ、そんなことをしていると途方にくれるくらいものがあるので、ザクザクとゴミ袋に入れていかないといけないことも理解している。
その、吟味したい気持ちと、捨てなければという気持ちに、折り合いをつけながら進めるのは、もしかしたら結構なストレスを伴うのかもしれない。
「捨てるのは簡単」と思う自分は、「捨てるのは難しい」と思っている人に、少しずつにじり寄り、ちょうどいいリズムでやらないといけないな、と思った。
「捨てる」のはいつでもできる。
少しずつ、納得しながら、進められるといいな。
(まだ全然終わってない)
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