まちの交流会「寄り合い」ってなんで行くの?
かかみがはら暮らし委員会の活動で「寄り合い」というものがある。
月に1回、誰でも予約なしで参加できる、まちの交流会だ。
20名前後来ることが多いが、今日は30名以上でお店いっぱいに人がいた。
圧巻。
自己紹介を終えるのにも30分くらいかかる。
さてこの寄り合い、テーマが「決まっていない」のが特徴で、その時集まったメンバーによって毎回かなり雰囲気が変わる。
まとめない、きちんと作り込まない、来てる人たちが自ら作り上げていくという方針で、すでに30回以上毎月やっていて、新規の人もリピーターさんも常にいる。
それは一つ、コミュニティを作る活動として成功している事例と言えるだろう。
でもこの「寄り合い」は、そもそも何を目的にみんなは来るのだろうか?
仲間や友達が欲しい人。
異業種交流のように考えている人。
仕事になるかな?と考える人。
地域で楽しいことがしたいという人。
コミュニティというものに興味がある人。
ただ、人と話したり話を聞いたりするのが楽しい人。
いろんな目的で集まったいろんな人たち。
楽しかった!来てよかった!という人もいれば、つまらなかった、次はないな〜って人ももちろんいるだろう。
それも、回によって印象が全然違うかもしれないし、そもそもコミュニティでの交流が好きか嫌いかなどを現場で知る人もいるだろう。
実は私は、こういった「不特定多数の集まり」があまり好きではない。
暮らし委員会の理事をやっていなければ、多分行かない。
(事実、今でも行かないこともよくある)
さすがに自分は、暮らし委員会の中心でずっと関わって来たから、寄り合いにきても知ってる人も多いし、緊張もしない。だけど、そうでなければ、話し相手も自分で探さないといけないし、30人の前で発言するのはすごく緊張するだろうし、興味のない話題やつまらない話も聞く羽目になるし、ハードルが高い。
偶然、話せる人がいたりしたらめちゃくちゃラッキー、そうじゃなければちょっとした地獄、という可能性もある。
みんな、よく来てくれるなあ・・・と半ば客観的に感心する。
でもこれは寄り合いに関する批判ではなく、コミュニティに求めるものの違いによるものなんだと思う。
私はあくまでも、自分で興味のあることや好きなもの、同じ次元の話をできる相手と話をするのが一番楽しい。
だから、初めから「この人好きな感じ、話してみたい、興味ある」という人とだけ繋がっていれば満足。自分とは真逆な価値観の人や、浅い話で終わってしまう人とは繋がらなくていいかな、なんて思ったりもする。
もちろん「偶然の素晴らしい出会い」や「思いがけない話題の面白さ」があるのが寄り合いの魅力であるのはわかるし、それを享受することもある。
個人的には、決まったテーマについて深掘りしたいし、深掘りできるようなテーマが好きだし、多数の前なのに個人的な相談はいらないと思うし、一人にやたら話されるのも辛い。
でも、その結果生まれる、偶然の産物、それが「寄り合いの価値」なんだろう。
実感として「今日は本当に楽しかった!」と思うこともよくある。
でもそれと同じように「今日はちょっとな・・・」って日もある。
楽しめるのも、つまらなく思うのも、自分次第。
みんな何を目的にやって来るのだろう。
私はなぜまた行くのだろう。
自分が楽しいことをしてたらうっかり周りも楽しくならないかな?という気持ちで活動しています。応援してもらえるととても嬉しいです!