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記憶に残るレースがある。

STYという総距離92km、累積標高約4,100m。
コースは富士山こどもの国をスタートし、山梨県富士河口湖町 大池公園をゴールとするレースに参戦した。

トレイルランニングのレースはリタイヤしても自力でポイントに戻らなければならないというルールがある。なので自分と対峙しながら進んでいくのだが、心が強く押し出されてしまうと身体が悲鳴をあげることもある。
2年前のレースは自分との対峙が出来なかったレースだった。
レースの為に「楽に走り続ける身体作り」を目標にトレーニングに励んだ。

しかし、不調が訪れた。
膝がずれるような感覚。
なんとなく膝周りが腫れるような感じがしていた。
それでもレースに挑戦した。
この状態でどうなるのか?
万全ではない状態でレースに挑むことだってある。
どうなるかやってみる。
何事も経験だ。
と、不安な気持ちを前向きに捉えた。
結果的に、この前向きさが仇となり怪我に繋がった。

レースには出れなくなったけど、「生きる」は継続中。

レースを「生きる」に変換したらどうだろうか?
まず、「生きる」ことに挑戦する時ってどんな時だろうか?
何かを失った時?
産まれた時?
死を間近に感じた時?

「再生」
自分の力で
再び生きる

で、あれば「楽に生きる」手段もある。
楽に生きる手段は自分が楽しいかどうかだ。
楽しむ。
自分を犠牲にしていては楽しめない。
時には頼ったり、委ねてみたりすることも必要。
かと言って頼り過ぎても委ね過ぎてもいけない。

人は万能ではない。
時に人は無力になることもある。

生きていていれば何事も生きる為のレッスンなのだ。

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