好きなことは幼少期に見つかっているかもしれない

初めまして!kanakoです。

見ていただいてありがとうございます😌

初投稿なので私の生い立ちをざっとご説明いたします。

岡山の田舎に産まれのびのびと育ち、19歳で服飾の専門学校に入るため大阪に出てきました。
卒業してからはあるブランドさんでアシスタントをして経験を積ましてもらい、今は独立しフリーランスとして活動しています。
自分の仕事は服を作る仕事です。相談が入った案件に対し提案したり、パターンを引いたり、ミシンで縫ったり…などなど。
たまにふと私はなぜこの仕事をしているのだろうと思うことがあります。
好きなことだけど仕事なわけで、ときどき嫌になることもそりゃあります。
でも、なぜ続けていられるのだろう?

私は自分が子供の頃に興味があったこと、好きだっとこと、夢中になっていたことを思い出すようにしました。

記憶を深掘りすることで見えてきたこと

5歳くらいまではぬいぐるみにお母さんのスカーフやハンカチをねじったり結んだりして服みたいにしていたこと

小学生のときはリカちゃん人形の服をフェルトで作ったりしていました。もちろんちゃんとしたものではなく、四角に切った生地の両端を縫い合わせてそれっぽくしたりです。

多分、お母さんになみ縫い(合わせた2枚の生地を交互に縫っていく)を教えてもらったのがきっかけでした。

一番嬉しかったのが自分で使う巾着を作り学校に持っていったら友達に「すごい!私にも作って!」と言われたことです。ミシンがまだ使えなかった私は、手縫いでクラスの女子の人数分をせっせと作りました。

田舎の小学校なので人数が少なくてよかった…。

そして、出来上がった物を渡したときの「可愛い!」や「ありがとう!」と笑顔で言われたことが忘れられません。

本当に嬉しかった。指が痛くなったことなんてどーでもよくなるくらい。

中学生になった頃は少し浮気をして漫画を描くのにはまっていましたが…笑


そうこうしていたとき、母親が家庭用ミシンを買ったのです。

家庭科の授業いらいに踏んでみました。


た…楽しい…(*☻-*)


すっかり洋裁にはまり、休みの日には手芸屋さんに通っていました。

服の作り方なんてわからないので、持っていた服を解体してそれを新聞紙に置いて型を作り、見ようみまねで始めはシャツを作りました。

きったないシャツが出来上がりました 笑

そのシャツを数年後に母親が着ていてビックリしましたが…

縫代の処理の仕方も縫う順番もわからない、ロックミシンもないから端の処理も出来ていない。

ロックミシンとゆう、縫い代はしの処理用のミシンがあることも知らず…

どぅしてうまく作れないんだろう…そんな気持ちを抱きつつ何着も何着も作っていました。


その頃私は服とは関係のない仕事をしていて、ずっとこの仕事を続けるのか?私が本当にしたいことはなんだろう…と悩んでいました(この時は服作りは趣味みたいなもので仕事にしようとは思っていなかった)

本気で学びたいと思ったのが海外のコレクション雑誌を見たとき。マックイーンのドレスを見て感動した。人にこんなものが作れるんだ!幻想的で魔法にかかったような気分になった。

頭の中は服一色になりどうせなら都会で刺激を受けながら勉強したいからと親に頭を下げて大阪へと出てきた。


今思えば、物を作るとゆうことを私は幼い頃からしていたんだとゆうことに気づきました。

興味を抱き、作ることに夢中になり、作った物に対して周りが反応してくれることに嬉しさを感じ、更に夢中になる。

ハマるとはこうゆうことなのかと。

好きはやめられない、日常の一部になるとゆうこと。

もしあなたがやりたいことが見つかっていないと言うなら、小さい頃に夢中になっていたことを思い出すとそこに何かヒントが隠れているかもしれません。

私はこの仕事をしていなければ今頃何をしていたんだろう🤔






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