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神道文化学部のすすめ【神社実習編】

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神社実習は、御神域での合宿であり、実習という名の修行だった— その体験談を通して、神社の向こう側にある世界の一部をご紹介します。助勤(アルバイト)の話もあり。
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#新しい自分

神社の向こう側にある世界|明治神宮で禊(みそぎ)の日々 1

私は45歳で突然、謎の声に導かれるように、会社を早期退職した者である。 その後、不思議な体験やさまざまな紆余曲折の末、47歳にして大学で神道を学ぶことになった。詳しい経緯は、以下の連載に書いた通りだ。 だが、「うちは仏教だから」が合言葉の家庭で育ち、神社や神道には人一倍縁がない方だった。 正直なところ、勢いで大学に飛び込んでしまったのである。 そんな初心者も甚だしい私が、入学した年の夏、いきなり明治神宮へ3泊4日の神社実習に向かうこととなった。 「思ったよりも修行だ

48歳、初めての神社実習に臨む|明治神宮で禊(みそぎ)の日々 2

早期退職後、47歳にして大学で神道を学ぶことになった私。 48歳になり、無事前期の授業と試験を終えて迎えた、夏休みのある日。私は、25年ぶりのリクルートスーツに身を包み、朝の原宿駅に降り立った。 手には大きなスーツケース。中には、3泊4日分の装束が詰まっている。いよいよ初めての神社実習が始まるのだ。 駅から歩いてすぐの所にそびえ立つ、明治神宮の大きな鳥居。いつもなら、ここから参道に入る。 だが、今日の私は参拝者ではなく、実習生だ。 手を合わせて実習の無事を祈った後、

神様の前で禊をする|明治神宮で禊(みそぎ)の日々 3

早期退職後、47歳で大学に入学した年の夏休み、明治神宮で初めての神社実習に臨んだ私(第2回) 1日目の夕方、ついに禊行をすることになった。舞台は研修所のほど近くにある禊場である。 禊について禊は、身体を洗いすすぐことで、身についた凶事や罪穢(つみけがれ)を取り除いて清めることである。 古事記や日本書紀で、イザナギが死後の世界である黄泉国(よもつくに)から帰ったとき、その穢を祓うために行ったことが神話的起源とされる。 御神前で奉仕するには、心身が清浄であることが求められ

神様の前で瞑想して感じたこと|明治神宮で禊(みそぎ)の日々 4

明治神宮での3泊4日にわたる実習の1日目。初めての禊行を終え、夜の神拝行事に臨む私(第3回) 先導役の道彦(みちひこ)を先頭に、実習生が続いて参進(さんしん)する。これから御神前に向かうのだ。 夜の参進参拝者のいない夜の明治神宮。神聖な空気に満ちた参道に、玉砂利の音が響く。 だが、40余名を数える実習生の足音はバラバラで、注意を受ける。参進の際、全員の心を一つにして足並みを揃えることは、大切な心得なのだ。 皆と歩を合わせようと懸命になっているうちに、ついに拝殿を正面に

神様に奉仕する人と直接感じる人の違い|明治神宮で禊(みそぎ)の日々 5

御神前での忘れられない鎮魂(ちんこん)を体験した後、ようやく初日を終えて、眠りについた私(第4回) 「ドン、ドン」 低く大きな太鼓の音で目が覚める。2日目の朝の5時。起床の合図だ。 これから長い1日がまた始まる。 慌ただしい朝明治神宮の実習では、部屋を出るときには必ず、白の着物に白の袴の装束姿でなければならない。 朝も例外ではない。着装(ちゃくそう、装束を着ること)しなければ、お手洗いに行くこともできないのだ。 点呼まで30分。慌てて歯磨き・洗面をする。さらに、寝

神様をお助けする道を探して|明治神宮で禊(みそぎ)の日々 6

神に奉仕する人と直接感じる人の違いを感じながらも、どうにか2日目の実習を終えた私(第5回) 3日目の朝5時。再び太鼓の音で目が覚める。御神域での慌ただしい朝の始まりだ。 だが、明日には帰れると思うと心が軽い。相変わらず皆の後を追いかけながら、何とか点呼に間に合った。 揺れる想い国旗掲揚。禊行で身を清めて、御神前で朝拝。祝詞の奏上などを行い、神への感謝と国家の安寧を祈願する。 さらに社殿と館内の清掃。その後、8時にようやく朝食。ここまでは、昨日と全く同じである。 だが

人の思いがパワースポットを作る|明治神宮で禊(みそぎ)の日々|あとがき

早期退職後、不思議な体験の末に、47歳にして大学で神道を学ぶことになった私。夏休みを迎え、初めての神社実習に臨みました。 「思ったよりも修行だった」と感じた、御神域での3泊4日。その体験を「明治神宮で禊(みそぎ)の日々」と題して書いてきました。 今回は、あとがきにかえて、この実習を通じて一番強く感じたことをお伝えしたいと思います。 御神気を身体中で感じる初日の夜。私は、御本殿のほど近くで、神に包まれるような、一生忘れることのできない瞑想を体験しました。 他にも、あらゆ