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推しキャラが出来てからの多幸感・博愛感について

※注意※ 以下、客観的に見てかなりキモい、推しにハマったファンの戯言が書かれております

忘却バッテリーのアニメを通しで見て、数話目以降から、何か心をすごく掴まれた気がして、アニメ鑑賞後に漫画を電子で全巻買って全部読んだ。そうしたら人生初の推しキャラができていた。

全話読み終わってすぐは、自分がどハマりしてるという自覚はなかった。ただただ、主人公要圭のあんな表情こんな表情が四六時中勝手に浮かんできて、思い出しては切なくなったり苦しくなったり心がざわざわしてて、何かが足りなくて、何かを埋めるように、空き時間に何度も何度も同じ漫画のシーンを繰り返し読んでた。

私は真面目に、忘却バッテリーの主人公、要圭にどっぷり沼ってる最中なのです。もう3週間経つ。

この感情を好きというふうに表現するのは難しい。もちろん好きなんだけど。好き、というには何かが足りなく、何かが過剰な感じがする。同じく恋、というのも、これまで生身の人間に抱いた感情と比べるとちょっと違うような気がする。
色々巡らすと、世の中の推し活とか二次創作してる人、アイドルを崇拝してる人たちの「尊い」っていう表現がぴったり来る、ような気がする。

忘却バッテリーの主人公要圭は、かっこよくてかわいくて、そんな彼に毎日会いたくて、毎日いろんなシーンをランダムに読みながら「はぁ〜カッコいい!ハァ〜可愛い!!」と声に出している。(もちろん見終わったアニメも毎日、もう何巡目かっていうくらい見てる)

智将じゃない要圭が、おふざけの過ぎる要圭が頑張ってひたむきに努力するところが好き。
だんだん明らかになってくる、自分を壊してまで努力した結果の智将キャラも好き。

頭の中に、その時のハマってる曲が常に鳴ってるみたいな感じで、常に要圭がいる。プライベート時間はもちろん、仕事中もずっといる。難しいタスクに集中しててもいる。大変な仕事を終わらせたときに、達成感と同時に要圭の屈託のない笑顔がある。初めてヒットを打ったとき、リードで帝徳とかのライバル校の投手をねじ伏せたとき、幼馴染の葉流ちゃんの凄い球を捕れたとき、葉流ちゃんが最高の球を投げてくれて嬉しかったときなんかに見せてくれた、最高の笑顔をしてくれてる。

まるで私の中のもう一つの人生みたいだ。要圭の笑顔が本当に可愛くて可愛くて、要圭が嬉しいと思ってると私も嬉しい。
明日も私の心の中の要圭が、私の頭の中で最高の笑顔を見せてくれるように、自分の成功体験に重なるように、仕事頑張ろうと思う。
苦手な人と少し上手く喋れたとき、私の頭の中では要圭がラブ&ピースだよねって笑顔で言ってて、2倍幸せになる。

今までこんなふうにキャラクターを好きになったことなかった。今までこんなにも私の心に取り憑いて、私の生活に伴走して笑顔を見せてくれるキャラクターに出会ったことがなかった。人生初の推しという概念に触れて、自分の変化に驚く。
それはそれとして、今月もたくさんの気になるマンガの新刊が出てるのに、もう全然全く手が伸びない。空き時間ができると忘却バッテリーを読み返すか、SNSで感想を探すか、ピクシブで色んな人の二次創作漁ってる。今の私の趣味:要圭。

個人的にアツいのはやはり10巻前後、要圭に智将の記憶が戻るところです。試合中に記憶が戻り、過去の自分の絶望を思い出して、勝手に出てくる涙を止められない要圭。幼馴染の葉流ちゃんのこと、恨んでたんだろうか…とそんなこと思いたくないのに、それを自問する要圭。藤堂がイップスを克服した瞬間を見て、過去は変えられなくても未来は変えられるのかも、と思う要圭。全部好き。全部大好き。
かっこよくてかわいくて、誰よりもストイックな努力をしたせいで誰よりも深い闇を背負ってしまって、でもそれを知っても葉流ちゃんを諦めない、自分が成長することを諦めない。周りの人たちを、自分と過去のもう一人の智将の自分を含めて誰一人諦めない。他人に期待することを諦めない。そこが泣ける。もう本当に泣ける。愛おしい。

それから最近アツいな…と思い始めたのは12巻以降、勝つことだけを念頭に頭脳だけでプレーしてきた智将の人格がだんだん、仲間と野球したら楽しいということを覚えて戸惑いを見せてくれてるところ。過去のチームメイトから素直に称賛されて柄にもなく焦る智将。今の小手指チームメイトから信頼の目を向けられて咄嗟に反応できない智将。人は変われる、要圭の諦めないひたむきさが智将にも影響を及ぼしているように見えて、ぎゅっと掴まれてる。

こんなに闇を背負っているのに、要圭はなんでこんなに光り輝いてるんだろう。なんでこんなに、人を打つ笑顔をするんだろう。なんでこんなにも、私を泣かせるんだろう。

向こう何か月か、いや、連載が終わるまで数年は、私はまだ要圭といっしょに生きている気がする。
要圭は自分も、他人もまるごと絶対に諦めない。
要圭の笑顔や、努力や、普段の顔とセリフ一つ一つが、私の頭の中では生きていて、自分の生活に何かあるたびに一緒に泣いたり笑ったり、辛い時は要圭に励まされて、楽しいとき・嬉しいときは2倍にも3倍にも一緒に幸せを噛み締めて生きていく、生きていけるんだという幸福な確信がある。

こうしてハマってから、世の中がとても素晴らしく美しく幸せに満ち満ちて見える。最初は気づかなかったのだが、自分の生活が要圭の笑顔に彩られてからの変化ということに気がついた。
街行く人たち、仕事で会ういつもの人達、コンビニの店員から電車の乗客まで、みんなみんな愛おしく愛を分けたいと思うし、全員に幸せにでいてほしいと思う。そのための自分ができることならやるよ、という気持ちになる。
ふとした物事や何でもないことに、理由もなく感動してる自分がいる。
一体この多幸感、博愛感はなんなんだ。コレが推しにハマるということなら、みんなが推しを作れば世界は絶対に平和になるしかないじゃないか。

どハマリ、尊い、推し、世の中で言われている色んな表現の2次元キャラクターへの愛を、たぶん私は要圭で初めて知って、初めて体験している。
グッズを揃える人、コスプレする人、絵を描く人、妄想でカップリングする人、二次創作で発散する人、人によってその愛とエネルギーの放出方法は様々。自分が同じ行為をするか、したいかと言われれば今はまだNoだけど、こういう人たちの根源的な感情に初めて触れられた気がする。また、こういう表現方法を取る人たちがみんな好ましく思えてたまらないので、しばらくピクシブやエックスでの検索で飽きることがありません。


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