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意識から情報へ

自分自身の興味の起源は、意識をサイエンスで明らかにしたいというのがすべての始まりだが、現在は、意識への興味が、情報への興味へと発展している。

情報への興味は、幅広い分野での研究に由来するため、体系立てて説明することができていない。その中でも、特に重要に感じている問題が複数ある。

それらの問題について簡単に書いてみようと思った。というのは、同じ問題に興味を持っている人も世の中にいて、もっと仲間を見つけていきたい。そして、自分の理解を深めるきっかけにしたい。それで、自分の情報への興味を宣言しておこうと思った。

それから、ここで書く「情報の物理学」とでも呼ぶべき研究分野というのが、いま必要になってきていると感じている。なんとなく同じような興味をもっている研究者が、いろんな分野にいる。こういう、呼び方すらよくわからない研究分野って、本当に新しいものが生まれてくるのではないかというワクワク感がある。

コロナ前にアラヤのAcer ChangらがオーガナイズしたCIPAというワークショップがあるが、そこでのトピックなどが、まさにこの情報への興味に対応する。

個人的には、アラヤの関係で創業者インタヴューなどをしてもらうこともあるのだが、なかなか「情報」への興味について話す機会はない。なんとなく、AIの会社で意識の研究に興味を持っていると見られているのではないかと想像したりする。そのイメージは間違いではないが、引きこもり生活が続いていて、カミングアウトしたくなってきた。

問題1:情報が物理現象として存在しているとはどういうことか
統合情報理論に大いに影響を受けたためか「意識=情報」という考え方が身にしみている。統合情報理論だけではなく、「意識=情報」という考え方はより幅広い思想として捉えることができる。

意識は自然現象と考えるのが自然なので、「意識=情報」ならば、情報も自然現象ということになる。つまり、「情報」というものを物理現象として考える必要がある。しかし、この宇宙においてで情報が発生しているという状態は、どういうことなのだろうか?

これが1つ目の問題なのだが、情報の存在については、統合情報理論を受け入れて暫定的にこう考えている。すなわち、物理的なシステムにおいて、現在の状態が因果関係で過去と未来にどのように接続されている状態が、情報という物理的事象が起きていることに対応する。

物理だと複雑系の研究や情報熱力学などは、まさにこの問題への興味を刺激してくれるところがたくさんあり、得られるものがあるのではないかと思って勉強したりしている。

問題2:モデルをもつとはどのようなことか
意識の内容・クオリアといったものは、統合情報理論では情報の関係性のもつ構造によって決まると考えられている。

これについて、自分としては、少し統合情報理論から離れて、脳などのシステムが外部世界をモデル化した、内的な世界モデルの構造できまると考えている。必ずしも統合情報理論と矛盾する考えではないのだが、一度、統合情報理論の考え方に慣れた上で「モデル」とは何かということが気になってきた(マッチングとかしばらく気になっていたのもこれだろう)。

統合情報理論で大事な考えの一つに、Intrinsic Perspectiveというのがある。ニューロサイエンスなどでは、外部からの実験者の視点で、脳活動やニューロンの役割をアサインしてしまいがちだが、Intrinsic Perspectiveでは、脳などのシステム自体をもってきたときに、そこに内在している性質として存在するものだけが、システムにとって存在しているという考え方をとる。

つまり、赤に反応するニューロンがあっても、それは所詮外部からの視点で、内在的には赤という情報が内部の関係性だけからどのように生じてくるかを説明しなくれはならない。

このような、外部の解釈者を抜きにして考えることを、「モデル」という概念についてもやらないといけない。つまり、任意の力学系があったときに、その中のどこに「モデル」という現象が発生しているのかを決定するための数理的基準が必要となる。

実は、これについては、個人的には答えを持っている。若干、拍子抜けする変な答えかもしれないが、すべての力学系は「モデル」になっていると解釈している。

ただし、本当の問題はこの先にある。

問題3:生成モデルによる情報生成という物理現象はあるのか
「意識=情報」という考えではあるのだが、このままだと汎心論になってしまう。汎心論が直感に反すると思う人がいるのかもしれないが、積極的にが間違っている主張する理由もない。だから、汎心論だという批判自体には特に意味はない。

一方で、「意識=情報」の思想で、汎心論にならないケースがあると思っている。意識は、情報という物理現象のなかの特殊な状態のみで発生しているという考えだ。そう考えるのは、最近私が論文などで主張している「意識の情報生成理論」に由来する。

情報生成理論では、意識の機能=目の前に起きていないことを学習済みの生成モデル(世界モデル)を用いて「生成」することで、内的な仮想世界でのシミュレーションが可能とし、フレキシブルなモデルベースの行動を実現することと主張している。

しかし、この仮説では「モデルを持っていること」や、「モデルによって情報を生成する」というのが、統合情報理論のようにIntrinsicに定義されているわけではない。つまり、任意の力学系をもってきたときに、外部からの解釈なしに、そのシステムが生成モデルを持っているのか、あるいは、それを使って情報を生成しているのか判定する基準がない。問題3は、これをどうやって定義したら良いのかという問題だ。

問題4:シミュレーションのコード自体と実行することの違い
内部の生成モデル(あるいは世界モデル)を使って、シミュレーションをするというが、シミュレーションから情報としては何が得られているのか。

たとえば、ポリシーを学習するのに、状態を圧縮した情報を使うのと、圧縮したものを再構成した情報を使う場合、情報としては再構成することで増えるわけではなく、むしろ圧縮したままの方が、次元が削減できていて都合がよい。

それなのに、自分のすでにもっている情報をもとに、デコーダを介して再構成することで得られることは、何だろうか?

シミュレータと必要な初期条件の情報を持っている場合、そこから生じるシミュレーションの内容は、暗にはそこに存在している。それを、実際に計算して具体的な未来の状態を得ることで、何が得られるのか?

これを、突き詰めて考えると、3+5と8は何が違うのかという問題に似ている。3+5というのはシミュレーションのコードで、答えを出すために必要な情報はすでに揃っている。しかし、8という答え(シミュレーションを実行することに対応する)を得ることで、何かにいきなりアクセスできる状態になっている。

これは、直感的な説明だが、一般的には計算をすると情報は減ってしまうものだけれど、このように計算を実行することで得られるようになったものを定量化することはできないだろうか。情報生成理論で生成されている情報というのは、そのようなものだと思うのだが、これを適切に扱える枠組みを作りたい。

感想とか
実際に、普段気になっている情報への興味を書いてみると、案外、繋がっていた。要は、意識は情報という物理現象という観点で、その情報やモデルといったものを、外部の解釈者によらない、システム自体の特性として捉えるための理論的枠組が欲しいということに尽きる。

今後、考えていることを、言葉にして表に出すようにしたいと思い書いてみた。というのも、自分の考えていることは、ちゃんと他人に伝わっているはずと思いこむ認知バイアスはあるようで、思ったより日々考えていることは、周囲の人に伝わっていない。今回の内容は、説明としては雑になってしまったが、まずは書くことを優先してみようという気持ちで書いてみた。今後内容について進展があれば、詳細を丁寧に書くべき部分は、論文などで書いていこうと思う。

今後、書こうと思っていることでは、「意識とAGIの関係」がある。その他には、なんで会社始めたのかとよく聞かれるから「起業の経緯」については書いておきたい。それから、誰にも伝わっていないことで、「アラヤは何を実現しようとしているのか」についても、書かないといけないな。


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