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わたしの感受性は

わたしはたぶん、人より感受性が豊かだ。

今日は上司の40歳の誕生日で、「今までやってきたことを継続しつつ、新しい挑戦を諦めない」というコメントがなんだか刺さって朝から泣いてしまった。
笑いながら「どこがそんなに?」と話を聞いてくれる会社で、ほんと、よかった。

年齢を重ねると涙脆くなるというのは多分本当なんだろうなと思ってるけど、 このペースでいったら、40歳くらいで朝から晩まで泣くことになりそうで怖い。

感受性が豊かであることは、時に自分を苦しめる。
たとえば、人の苦しみや悲しみを引き受けて心が痛んでしまうこと、疲れてしまうことがある。

たまに、この痛みを知らなければ、気づかなければ、もっと軽やかに生きていけただろうなと思うことがある。

でもこの間友達にこのことを話したら、知らなければ、気づかなければ出会えてない人たちが沢山いるんじゃないか、ということを伝えてくれた。

たしかにそうかもしれない。
この感受性があったから出会えた人、景色、音楽……
それらが「わたし」を形づくり、この人生に辿り着いているはずだ。
たらればの話で、もし今「知らない、気づかない」自分を選択できるとしても、わたしはこの感受性を持った自分を、結局選択するかもしれない。

毎日の空の顔や空気のにおいで心が震えるわたしの感受性。
ふいに流れてきた音楽に涙を流しながら踊りだしてしまうわたしの感受性。
好きな人とのささやかな時間を幸せだと心の底から思うわたしの感受性。

自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ

茨木のり子/詩集「自分の感受性ぐらい」

好きな詩の一節。
わたしはわたしの感受性を、死ぬまで守って、磨いて、研ぎ澄ますんだ。


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