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向いてる仕事と、憧れる仕事と、やりたい仕事の違い


わたしは、やりたい仕事をやりたい!!
と、諦めずここまで突っ走ってきた奴だ。

まだ、これだ!これが私の天職だ!なんて
鼻息荒く言える仕事には出会えていない。
でも、死ぬまでには絶対出会うし、見つけるし
やってやると思っている諦めの悪いやつだ。

天職に出会うために、転職を繰り返した。

保育の短大を卒業してから保育士として
働いた。
私立の保育園5年働いた。

まじで辞めたいと思っていたし、
やりたい仕事はこの仕事じゃないなんて
思っていた。

でも保育士をしていて
褒められることや、頼りにされることも
多かった。
「riho先生が担任の先生で本当に良かった」なんて泣きながら感謝されたこともある。

やりたい仕事じゃなかったけど、
めちゃくちゃ向いていたのかもしれない。


そして、やりたい仕事をするために
めちゃくちゃ人気のカフェで働いた。

まぁそれはそれはブラック企業で、、
バイトで雇われ
朝9時から夜の11時頃まで働いた。
休みは週一回月曜日のみ。

お洒落なお洒落なカフェで死にそうに
なりながら働いた。

プライベートも、自分の生活もないようなもんだ。
なんのために生きているか分からなかった。

ここは1ヶ月ももたなかった。

憧れる仕事だったけど、現実は違った。


そしてその後、もう保育士しかないかと
もう一度保育士に戻るが、、、

そこの保育士さんの雰囲気が悪すぎて
一日、いや半日で早退してきた。
そして辞めた。

やばい、黒歴史すぎる。やばい記事になりそうだ。


これが私のありのままの血迷い職歴だ。


そして、またまた保育士になった。

企業主導型保育園のオープニングスタッフだ。
保育園を一からつくるなんて楽しそう!と思った。

まぁ、ここでの経験はそれはそれは色濃く。
カーテンもなにもない部屋を一から保育室を
作り上げることになった。
保育士の経験を活かし、室内の遊具や
環境設定、おもちゃを準備したり、
保育時間を決めたりすることまでやった。
入園の書類も一から作った。

ここの代表が本当にポンコツすぎて、
一からではなく、ゼロから保育園を作り上げることになったのだ。

代表と園長の折り合いがつかず、
園長はすぐに辞めていった。

保育のリーダーをしていた私が実質
園長になった。


スタッフのシフトを組んだり、
休憩を回したり、
大変だったけど、多分向いていたんだよなぁ。


やりたくないけど、向いてる仕事。


そして結婚を機に保育士を辞め
今の家具インテリア販売のパートになった。

この仕事は憧れて、やりたくて入ったが
向いていなかった。

お洒落で働きやすかったが、
まじで向いてなかった。

何がって、オープン当初の忙しい時期は
向いてたんだけど
産休明けから
段々暇になり、人も入れ替わり、
「まじで向いてない」と確信した。

わたしがいなくても回る仕事、
わたしは別に求められていない仕事、
悲しいけど、そうだった。


どうしたもんでしょう。


パートも沢山応募して、面接を受けたりした。

ブライダルプランナー、キッズフォトスタジオ、

やっぱ、憧れの仕事は休みが少ないし、
土日は仕事だ。

プライベートを削ってまでその仕事を
やりたいのか?と言われると
YESと答える自信はない。


今思うのは、憧れの仕事は
憧れの仕事であって、職業に憧れていただけだった。

「なんの仕事に就きたいか」じゃなくて
「どう働きたいか」がやっぱり大事だと気づいた
31歳秋。

もっと言うと、「どう生きていきたいのか」の
延長線上に「どう働きたいか」が繋がってくるんだろうな。


プライベートは大事にしたい。
息子や家族、友だちの時間、自分の時間は
もちろん必要。
息子が熱を出した時は休みたいし、
運動会や発表会には絶対に出たい。
存分に遊びたいし、休みたい。


「どう生きていきたいのか」を考えると
やっぱり必要とされて生きていきたいし、
「あなたでよかった」そんな風に思ってもらいたい。
「誰でもいい仕事じゃなくて、あなただから」そんな仕事がしたい。

そしてやっぱり、わたしは「繋がり」を大事にしたいみたい。
心と心でコミニュケーションを取り合い
「繋がる」「繋がり合う」を求めている。


散々血迷った今、
ちょっと落ち着いて一休みしようと思う。

憧れる仕事は置いておいて、

向いてるし、やりたい仕事を
イキイキとやっていく人生にしたい。

向いてるし、やりたい仕事を創っていきたい。

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