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10年間「子どもは産めない」と思っていた筋ジス患者が妊娠出産を決断するまで。

結婚2年目の27歳。進行性の難病、顔面肩甲上腕型筋ジストロフィー(以下、FSHD)による全身の筋力低下により、20歳より電動車椅子ユーザー。2020年秋、初の妊娠が分かり、5月に出産予定。
妊娠・出産・子育てについては、病気の進行や子どもへの遺伝など、覚悟が必要なことがいくつかありましたが、長い間悩んで決めました。その過程についてご紹介します。

障害や病気の有無にかかわらず、子どもを産むか産まないかの判断は、「天秤」だと思う。

私の場合、「産む」方の皿には「子どもを産みたい」という気持ちがずっと乗っていた。

だけど、漠然とした多くの不安や恐怖が「産まない」方の皿に乗っており、それが長い間「子どもを産みたい」という気持ちに蓋をしてきた。

私の心の中の天秤はずっと以下のような状態だった。

無題のプレゼンテーション

ここから天秤に乗っているものをじっくり見つめ、その軽重を測ることで整理していった。

妊娠出産時の身体的なトラブル

きっかけとなったのは、結婚して数ヶ月経った頃の筋ジストロフィーの定期検診だった。

主治医から子どもについて聞かれた。
私は「産むつもりはない。子どもが欲しくなったら養子を迎えようと思っている。」と答えた。

主治医は軽い口調で「そうなのね。ゆっくり考えていけばいいよ。ちなみにこの病気は出産はできるからね。」と答えた。

FSDHは、直接不妊の原因になったり、妊娠によって命に関わるほど病状が悪化したりといったことはないのだそう。ただ、数少ない論文によると、羊水過多、羊水過少、胎児発育不全、切迫早産などの発生率は、病気のない人の統計と比べて数ポイントだけ高い。

「そうなんですか」と驚く私に、続けて主治医は説明する。

「いきみが難しくて、帝王切開になる可能性は高いけど、自然分娩にチャレンジはできる。」

「あと、子宮頸管の筋肉が病気に侵されている可能性がある。子宮の入り口が早いうちから開いてしまうことで切迫流産や切迫早産が起こる恐れがあるから、子宮口を縫う手術はした方がいいよ。」

私は「産めるとはいえ、やっぱり大変なんですね。」と伝えて、その日の診察は終わった。

診察の帰りに昼食を取りながら、「子宮口を縫う手術」についてググった。

「子宮頸管無力症」という病気の人がよく受ける「子宮頸管縫縮術」という手術だった。「子宮頸管無力症」は、筋疾患の有無に関わらず、妊娠中の女性に少なくない病気で、手術を受けた人のブログはたくさんヒットした。

ふと、「これ、医療だな」と思った。

何かの問題には、病名が付けられ、治療という解決策がある。FSHDに治療法はないが、私の妊娠出産で起こる問題には治療法がある。そう考えると急に心が軽くなった。

なんとなく出産なんて絶対乗り越えられないと思っていたが、私に起こりそうな特定の疾患とその治療法を具体的に知ったことで、そんなに大きな壁には思えなくなった。

妊娠出産による病気の進行

主治医から「産める」という話は聞いたものの、妊娠出産を通して病気が進行しないかどうかについては懐疑的だった。

座りっぱなしの車椅子生活で痛む身体、腹筋がほぼないので満腹になると胃が下がって苦しくなる、内臓が重力で下がり圧迫される膀胱の不快感、などなど。筋力低下による身体的な不快感は常にあり、どうしても自分の身体が妊娠出産に耐えられるというイメージを持てなかった。

もっとリアルな情報を集めようと思い、現在130名ほどが参加するFacebookの同病コミュニティに、「出産経験者の方、話を聞かせてください」と投稿をした。

8人の出産経験のある方が個別に連絡をくれて、電話やメールで話を聞かせてくれた。

一番に気にしていた病気の進行について、病気が少し進行することはあるが、一気に進むわけではない、という答えが多かった。また、妊娠出産そのもので病気が進行するというよりは、つわりや切迫早産によって安静にしなければならない状況があり、その結果筋力が落ちるという話だった。

筋力低下による身体的な不快感についても、急激に悪化するという話はなかった。

生活が一変するほどに身体の状況が変わるわけではないことに、かなり安堵した。

一点不安が残ったのは、話を聞いた出産経験のある方たちは皆、歩行ができていて、「車椅子に乗るほど重症化したFSHD患者」の出産事例や論文が見つからないことだった。

けれど、そこまで調べると妊娠出産についての捉えようのない不安は解消していた。私はすっかりその気になっていて、歩行ができないFSHD患者初の出産になるかも!?と謎のチャレンジ精神が湧いてきた。

病気が進行することへの恐怖心

妊娠出産時のトラブルや身体への影響度合いについては、詳細を知るごとに形の見えなかった不安の輪郭が明らかになり、リスクの重さを正しく測ることができるようになった。

分からないことは怖い。不安はどんどん膨らむ。だからこそ、希少疾病を持ちながら何かにチャレンジするのに大切なのはやはりリアルな情報だと改めて感じる。

一方、長い時間をかけてじわじわと変化していったのは、「病気が進行することへの恐怖心」だった。

私にとって、この病気の最も苦しいところは「進行性であること」。

病気が判明した10歳のときはほとんど健常児と変わらなかった。そこから徐々に病気は進行し、走れなくなり、階段を登れなくなり、歩けなくなった。

楽しかったスキーもピアノや料理もできなくなり、人の手を借りないとできないことがどんどん増えていく。誰かを楽しませることや、誰かにために何かをする手段は次々に失われていく。

車椅子に乗ると周囲の視線も変わり、人に迷惑をかける場面が増えていくと、今までの自分がどんな人間だったかも忘れていく感覚に襲われる。

歩いてトイレに行く、立って歯を磨く、洗面台で顔を洗う、自分で冷蔵庫を開ける、お風呂場のスイッチを押す…。毎日毎日、当たり前に行っている動作が、いつの間にか大変になり、それをやめようとするとき、もう一生できなくなる怖さが頭をよぎり、抗いたくなる。抗っても近いうちに完全にできなくなり、新しい可能なルーティーンに変化する。

ふと、その変化の繰り返しを思い浮かべ、数年前のできていた自分を思い出すと、喪失感に押し潰されそうになる。

妊娠出産によって急激に病気が進行することはない。ただ、全く進行を早めないというわけでもない。病気の進行に強い恐怖心を持つ私にとって、当初それは耐えられないことだと思えた。

しかし最近、「病気が進行することへの恐怖心」が小さくなっているように思う。

考えてみるといくつかの理由がある。

一つは、コロナ禍の影響によりリモートワークの普及が進んだこと。毎日会社に行くことは私にとって負担の大きいことで、それができなくなる未来はそう遠くないと感じていた。リモートワークでの仕事がある程度軌道に乗ると、今後病気が大きく進行しても現在と変わらずに仕事を続けられるという自信を持てるようになった。

二つ目は、夫の存在。病気が進行することで、周囲の視線や行動が変わることが何度もあった。誰かと一緒にいても、その人との関係性は病気によっていつか変わってしまうような孤独感を常に抱えていた。

夫と結婚して、その孤独感を抱くことはかなり少なくなった。

結婚は絶対的なものではないけれど、私の病気の進行を知った上で一緒になることを決意してくれたこと。日常生活の中でできないことが増えていってもコミュニケーションは変わらないこと。病気によって二人の関係性が変わらないようにしたいと願う私の気持ちを理解し、そのための工夫に協力してくれること。

仕事とプライベートの両面で、自分のとって主要となる部分が病気によって失われないという確信を少しずつ持てるようになり、以前ほど病気の進行が怖くなくなった。これは、私にとって大きい判断軸の変化だった。

ひとつひとつ、情報収集して、整理していった。

こうして膨らんだ不安や恐怖をひとつずつ整理して、「産む」という選択もアリかもと心境が変化していった。

無題のプレゼンテーション-2

今回の記事では病気に関して、調べたこと考えたことをまとめたが、病気の有無関係なく、さまざまな「産む」理由、「産まない」理由を調べて、心の天秤に乗せて今回の決断に至った。

子どもを産みたい気持ちについては、不思議なことになかなか言語化できず、その軽重を測るのも難しいと感じた。

天秤にいろいろ乗せていると、世の中の圧力を感じることがあった。

「女性なら子どもを産むのが幸せ」「子どもを産むのが当たり前」などの「産め」という圧力、感じている人は少なくないだろう。

同時に、私が感じた遺伝性疾患を持つ人々への「産まない方がいい」という圧力。これが自分に向けられたとき、数日何も手がつかないぐらい苦しかった。

筋ジス患者の妊娠出産あれこれ
<今後公開予定のテーマ>
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