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リモートワークで、軽度難聴によるストレスがなくなった話

私は普段、補聴器をつけて仕事している。

とはいえ、難聴の度合いは軽度で、日常生活には問題ないが、仕事によっては厳しいところがある、という程度。

ちなみに、私の難聴は顔面肩甲上腕型筋ジストロフィーの合併症である。よって、手足も不自由で、電動車椅子を使っている。

標準的な音量の一対一の会話、電話での会話は補聴器がなくても問題なく可能。

ただし、3名以上のミーティングや、1m以上離れた人の声、オフィス内での小声、早口の人の会話には、聞き取れない部分がたびたび発生し、会話についていけなくなる。特に、初めて聞く固有名詞は予測ができないので、ほとんど聞き取ることができない。

大学生までは聞こえない部分があっても、適当に話を合わせて切り抜けてきた。
社会人でそれをすると業務の支障になりかねないため、入社のタイミングで補聴器を使い始めた。

補聴器を使えば、業務上の支障は概ねなくなった。

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デンマークの補聴器メーカー「オーティコン」製
(両耳で40万ほど。軽度難聴なので公的な補助制度は使えない…。)

増幅される「雑音」に慣れない問題

23歳から使い始めた補聴器。
フィッティングを正しく行っても、補聴器が拾う雑音に慣れず、常に付けていると疲れてしまう。また、集中力が削がれるため、単独でPCに向かう「集中モード」の仕事は補聴器を外さないと気が散って仕方ない。

そういった理由により、人と話すとき、会議のときなど、「会話モード」のときのみ補聴器をつけている。
補聴器をつけている時間は、およそ労働時間の半分、一日あたり4時間ほどである。それぐらいだと疲れもそれほど問題にはならない。

ただ、この使い方にもいくつか困る点がある。

数十秒の短い会話にドキドキしてしまう。

PCに向かっているとき、咄嗟に短い会話が始まるということは社会人にとって当たり前のようにある。

そんなとき「あ、補聴器つけなきゃ」と思う。私は手の障害もあり、うまく動かないので、小さな補聴器をつけるのはそれなりの時間も集中力もいる。

補聴器をつけて「はい!聞けます」ってなったのち、会話が数十秒で終わったとき。

会話の時間より、補聴器取り付けてる時間の方が長いやないかーい!!という申し訳ない気持ち。

補聴器をつける時間を待ってもらえるし、それに対して何かプレッシャーをかけられることは断じてない。
ただ、変な間が生まれてしまうし、何度も付け外しするのも疲れてしまう。

結局、
①補聴器をつけずにドキドキしながら会話に入ってゆき、「お、これは長い話だぞ」と思ったときに付ける
②もしくは、話しかけられることを想定して、集中モードでも付けたままにする
のどちらかで対応している。

突然始まる雑談が恐怖。

会社の行き帰り(電動車椅子の走行音が増幅されてうるさい)、一人の昼食(自分の咀嚼音が響いて気持ち悪い)、集中モードの最中にトイレに立つときなどは補聴器をしていない。

そんなとき、誰かとばったり会って始まる雑談。

「や、やばい」と冷や汗をかく。
すれ違いざまにサクッと会話するとき、人はあまりはっきり発音しない。
私にとってほとんど聞き取れない会話となる。

大したことのない冗談みたいなセンテンスを何度も聞き返して変な空気になるのも避けたい。

適当に相槌を打ったりして、早く会話を終わらせたい。
そんな気持ちになってしまう自分が嫌だ。

雑談が好きな補聴器をつけている自分、
雑談が嫌いな補聴器をつけていない自分。

二重人格みたいに思われてないか、的なことをビビリな私は気にしている。(たぶんみんなそんなこと気にもしてない)

リモートワークになると、これらが一気に解消された。

当たり前の話だが、リモートワークになると会話を始めるために、TV会議に繋がないといけない。

なんと、みんな「集中モード」から「会話モード」の切り替えが必要になったのだ。

集中モードから会話モードの切り替えにドキドキしなくていい。

またリモートなら音量は調節できるので、補聴器は必要なくなった。リモートの日が多くなってから、補聴器をつけていない時間が長くなったので、耳の調子がいい。慢性的な耳鳴りがない。

それにリモートではたまに音が途切れたりするので、聞き返すことになんの不自然さもない。

実は難聴のこと、会社ではほとんどの人が知らない。

コミュニケーションに多少の問題があるものの、あまり難聴については公にできていない。ポロポロとカミングアウトはしていたものの、基本的には補聴器を使うことで普通の聴覚の人と同じようにこなそうと思っていた。

なぜか。これ以上、配慮が必要な人だと思われたくなかったからである。
ただでさえ電動車椅子の私、それに加え上記のような面倒臭いコミュニケーションの問題。だから、言わなかった。なるべく普通に聞こえるふりをして存在していたかった。

配慮を必要としない存在であることの気楽さ

リモートワークで誰かと関わっている時、私は配慮を必要としない。車椅子が通れるように道を開けてもらうことも、話すときに大きな声を出してもらうことも、リモートワークでは必要ない。
配慮を要する瞬間が全くないということが、こんなに気楽なことだとは思わなかった。

一点断っておくと、配慮をして欲しくない、ということではない。むしろ配慮があるからパフォーマンスを発揮できていることが事実であり、配慮をしてくれる周囲の人には感謝の気持ちが常にある。だからこそ、配慮を必要としないという状況に、改めて気楽さを感じているのかもしれない。

リモートワークになって、障害に関する課題点がたくさん出てきている。

障害に関する調査を行うミライロリサーチが、在宅勤務などの勤務形態の変化による課題を調査した。
https://mirairo-research.jp/post-605

音が悪くて聞こえない。画像が荒くて、口元が見えない。
遠隔会議システムと音声アプリの組み合わせがうまくいっておらず、困難を感じている。

など、リモートワークになったことで、障害者は多くの課題に直面している。

今回のような状況の中、多くの人がリモートワークを使い、一気に課題点が洗い出されている、と捉えることもできる。

ネットという電子の世界を挟むリモートワークにおいて、多くの課題はテクノロジーで解決できると期待している。

課題点が顕在化されれば、それに応えられるテクノロジーが生み出される。
むしろ、技術はもうとっくに生み出されて、日の目を見る時を待っているのではないか、と思う。

テクノロジーが障害をなくす世界の方が、私は美しいと思う。

優しさが障害をなくす世界。例えば、車椅子を抱えて階段を登ってもらうとか、聞こえるようにはっきり話してもらうなど、人の優しさや配慮が障害をなくす世界。それも美しい世界である。

けれど、私はテクノロジーが障害をなくす世界の方が私はもっと美しいと思う。電動車椅子で自分で自由に動く、とか、自動で正しく文字起こしされて聴覚障害があってもなんら不自由がない会議とか。

周りから何の配慮がなくても、不自由なく生きていくことのできる世界。
障害者が生きる世界に関して、目指したいのはそのような世界である。

リモートワークは、そのような世界を手に入れる選択肢の一つになるのではないか。
外出自粛をきっかけに、リモートワークがデフォルトとなった今、そのような可能性を感じたのである。

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