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働くのもありかも🐜

2年前に退職してから、頑なに働きたくない!と思ってここまできた。
たとえアルバイトであっても、社会で何かすると自分は疲弊してしまう…もう社会に出たくない。私にはきっと無理だ。そんな気持ちだった。

でも最近、アルバイトくらい始めようかな…という気持ちも湧いており、求人を眺めたり、何の仕事ならできそうかな、と考えている自分がいる。
次男の園への送迎や、長男の不登校、私の気力と体力の問題もあり、今すぐ行動に移すかどうかはわからないけれど、とにかく自分の変化に驚いた。

なぜ、こんな風に気持ちが変化したのかな…と少し考えてみる。

単純に、退職して2年経ち、家にいることに満足してきたこともあるかもしれない。むしろ、子どもとずっと家にいることに疲れているとも言える。

また、上にも書いたように、働くといってもかなり条件が細かくあるため、どのくらいなら今の自分でもできるか、ということが具体的になってきた。フルで働くことは到底難しいが、この条件を満たせるなら、今の自分も負担なく働けるかもしれない、と。

そして、仕事に自己実現を求めなくていい、ということが自分の中で腑に落ちたのも大きい。

働く、というと大きく二つの側面がある。
ひとつは、収入を得る手段としての労働。
ひとつは、自己実現の手段としての仕事。

わざわざこうして書くまでもなく、当たり前のことのような気がするけれど。
この二つを混同していたな、と思う。

教員という職業は、自分がなりたくてなった。
つまり、自己実現の手段としての意味合いが強かった。
綺麗事かもしれないけれど、お金のために働いているという意識はなかったし、より自分を高めたい、と常に思っていた。
教員として働いている間は、「やりたいことを職業にして、お金をいただくことができる」という、先に書いた2つの側面がうまく合致していたのだと思う。

だから、今後もそうやって生きていくんだ!仕事で自己実現をしながら収入を得るのが幸せなことなんだ!と思い込んでいた。

だからこそ退職後しばらくは、収入がない自分を受け入れなれなかったし、

やりたいことをするには、それを仕事にしなければ…とも思っていた。

でも、自宅解放も読書会も無償で行うと決めたことで、自分の「やりたいこと」はここにあるのだから、それとは別で収入が欲しいなら働けばよいのだ、とやっと思えるようになった。
自分のライフワークが明確になったからこそ、それをライスワークと切り離して考えられるようになったのかもしれない。

やりたいことで稼がなければ!なんて決まりはどこにもない。

収入が欲しければ、条件に合うところを探して、働けばいい。
余っている時間で誰かのお役に立ち、それで収入を得ることができるなら、一石二鳥じゃないか。

生きていくための収入が欲しい、自分の自由に使えるお金が欲しいなら、限られた時間の中で働けばいい、何から何まで当たり前のことで、何を今更と自分でも思う。

でも、働いている自分や、仕事で自己実現をすることに価値を置いてきた私だからこそ、ただ収入のために働くというのは、どこか負けのような気がしていたのかもしれない。学生時代は、お金のためにバイトをしていたはずなのにね。

ここまで書いておいて、結局バイトを探すかどうかは全く決めていないし、そもそもだらけきっているこの自分でも働くことができるのか、甚だ疑問だけれど。

「働くのもありかも🐜」そう思えた自分の変化だけ、ここに残しておく。
実際、働かせてもらえるか、雇っていただけるか、はまだ別の話なのでねw

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