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頑張ろうとしている人間からの独立

【起】:能力不足という悩み

2ヶ月に一度くらいの頻度で大学時代の友人と何らかの遊びを企画することにしている。

昨日はひたすら歩くイベントを仲間内で実施し、夜はスーパー銭湯へいった。

会って話をすると、
それぞれが異なる価値観
を持っているのが、
心地よく感じた。

ここ最近は特に、
自分の能力の足りなさに落ち込むことが多い。

というよりも、
自分が共同体へ貢献できている感覚がない。

周囲を見ても、
とても優秀な人ばかりが集まっている。

そして皆、
マルチタスクがとても上手だ。

そのコツや方法を聞いても、
頭の中では理解しているようなことが多いため、
正直あまり参考にならない

「道を知っていることと、実際に歩くことはちがう」

映画マトリックスより

【承】:悩みの根源としての「人間」

個人の能力については、
努力で獲得
するものもあれば、
持って生まれた才能もある。

人はそれらの結末だけを見ることができるが、
理解をして真似をすれば誰でもできるほど、
人間の規格は統一されていない

そういった意味では、
全くの不可能なチャレンジである可能性もある。

例えば、
成人の時点で身長が170cmしかないものが、
2mを超える身長になるために努力するのは正直あまり意味がないだろう。

人間の規格と性能は、
ある条件下でかならず同様の結果をもたらすとは限らないからだ。


【転】:根元からの独立「選択」

ある友人は特に私とは異なる価値観を持っているため、
毎回新しい視点を授けてくれる。

そもそも、
「マルチタスクができるようになりたいのか?」

答えは当然、YESだ。

「へぇ、仕事を頑張りたいと思っているんだね」

確かに、
私は仕事を頑張りたいと思っていた。

頑張らないといけないと強く感じているが故に、
悩んでいた

彼は昔から、
楽をしたいと考えていた。

頑張りたい人間と、
楽をしたい人間

どちらも自分の考えであり、
自分で選んだ生き方だ。

どちらの方が幸せなのだろう。


【結】:能動的に幸せを掴み取る

自分の生き方
再度考え直そうと思う。

チャレンジャーなのか、
ゲームチェンジャーなのか、
全体への奉仕者なのか、
あるいは旅人か。

今の自分は特段、
頑張りたい人間ではない。

むしろ、
何かに貢献したい

貢献したいのに、
できない不甲斐なさで自分を責めている

私は、
人は連鎖する生き物だという考え方
を持っている。

故に、
自分に与えられたいくつかの能力を、
社会に還元していく使命がある
ように思う。

必ずしも、
目立ちたいわけではないが、
自分の可能性を最大限に発揮して、
結果的に回り回って社会が良い方向に進めばいいと考えている。

少なくとも、
自分自身が幸せになるためには、
貢献している感覚が重要な因子であることは間違いない。

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