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緑玉で君を想い眠る⑤

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楽しみにしていた春休みは愚か、学校でも、恋人であるはずの守とは会うことを禁止された。
 守も治彦さんから私には会うなと厳しく言われたのか、事件以降は私の前に姿を現さなかった。

「そんな成金の娘、絶対に認めん」「もっと由緒正しい家の方でないと」と交際を反対されているという話を何回か聞いていたし、いつか別れさせられるかもしれないとも聞いたことがあった。

 霧島家の中で一番激昂していたのが治彦さんだったし、何度も鋭い視線を向けられたのを、私もよく覚えていた。治彦さんが私を「バイタ」とか「アバズレ」と言って、それを聞いた父と輝一郎さんが激昂して、その度に守は私の手を強く握っていたのも覚えている。当時は大人の男の人が声を荒げているのがただ怖かったのだけれど、今ではそれぞれの意味もわかって、いろいろな意味で心が苦しくなる。

 目の治療後に学校に戻ると、私が誘拐されたことは、すでに学年中に知られていた。レイプされたのだという誤情報付きで。友達が、クラスメイトが、私と距離を取って、聞こえないように、その話題が囁かれる。

 その中で唯一私と接してくれたのが、クラスメイトの玉井夢香だった。

 彼女とは、特別親しかったわけではない。社交的で男女共に交友関係が広かった彼女が、クラスが違っていた初等部の時でも、挨拶や世間話など、何気無いことで話し掛けてくれていただけの仲だ。私よりも小柄で、はっきりした目元が印象的な、可愛らしく華やかな人物で、兄が二人いるからか体を動かして遊ぶのも好きな活発なコで、多くの男子からモテていた。

「叶羽、元気出して!」「あたしは叶羽の味方だからね!」「気にしちゃ駄目だよ!」「嫌なことは早く忘れよ!」毎日のように声を掛けて励ましてくれた。嬉しくはあったけれど、喜べるわけでもなかった。彼女がそうやって周囲に聞こえるように口にする度に、誤情報の真実味が増しているように感じたから。複雑な気持ちだった。

 その感覚通り、誤情報は勢いを増して広まっていき、学年を越えて、次第に守のことまで囁かれるようになる。

 霧島情けねーな。彼女が可哀想。一年の森城さんだっけ? ほら、あのコ。何で霧島選んじゃったかなー。あんなもやし男のどこがいいんだか。財産目当てだったりして。

 耳を塞いでも、視界に人が映るだけで、私と守のことを言われているような気がした。

 何も関係無い人達が、私を、そして守を、削って、踏みにじって、何事も無かったかのように去っていく。

 親の目が届かない学校生活なのだから、言いつけなど無視して、彼のもとには簡単に行ける。

 でも、行ったとして、何を言えばいいかがわからなかった。
 こんな状況下で行ったら、逆に迷惑かもしれない。
 私が彼の近くにいると、また彼が悪く言われるかもしれない。
 このまま噂が収まるまで大人しくしていた方が、きっとお互いのためだ。

 足を動かせない理由をあれこれと探して、守とは距離を置いていた。

 父は、あの別荘をどうするべきかと、悩んでいたそうだ。輝一郎さんは、別荘を手放した方がいいのではないかと言ったらしい。私が大怪我をした場所なのだから、痛い思いをした場所を残す必要はない、と。

 娘が誘拐されたことで気疲れしていたのか、間もなくして、父は事業に失敗して、会社は倒産した。それで余計に気を病んだのか、母を殺して、そのまま首を吊った。

 私は輝一郎さんに引き取られた。
 輝一郎さんは、私が幼い頃から独身だった。
 無知で想像力が無かった幼い私は、聞いたことがある。輝一郎さんは結婚しないの? と。

「昔好きだった人がいたんだけどね、その人は別の人と結婚しちゃったんだ。その人以外の女性と結婚したいという気持ちになれなくてね」

 私の質問に、輝一郎さんは穏やかな笑みを浮かべながら答えた。

 その言葉の意味や重さに、当時の私は気付けなかった。「輝一郎さん、シツレンしちゃったのか」なんて軽い感想を抱いていた。

 両親を亡くした私を迎える時に、彼の無償の愛を再び思い知った。

 両親が私を何よりも大切だと想いながら育ててくれていたことは、誘拐されて、霧島家と揉めている姿を見て、痛いほど実感した。

 そんな二人がいっぺんになくなって、まだ子供で大人の手が必要なのに、誰にも手助けしてもらえないし、いざという時頼れない。

 学校しか世界を知らない中学一年生の私は、それがたまらなく不安だった。

 中学校に通って、高校生になって、大学生になって、いつか城之化粧品で働く。これまで、普通に毎日を過ごしていたら、そんな未来は時間が経過したらいつかやって来ると思っていた。

 けれど今は、そんな未来に、どうやって向かって行ったらいいかもわからない。

 これからの学費は? 長期休暇ではどこに帰ればいいの? 高校はどうするべき? 大学の学費って、どれくらいするんだろう? 城之化粧品がくなった今、私は何を目標にすればいい?

 これまで何も意識せずに送ってきた生活の全てが、急に生々しいものになった。

 これからの未来、否、人生が真っ暗だった。

 そんな私に、輝一郎さんは、しゃがんで目線を合わせながら言った。

「叶羽ちゃんは、わたしの娘も同然だ。何でも遠慮せずに言ってくれ。あぁでも、わたしは歳取っちゃったから、昔みたいにお馬さんにはなれないな」

 変に気遣うわけではなく、冗談を言って、緊張を解いてくれた。

「もう、私だって誰かを馬にさせる歳じゃないですよ」

 そう言って笑うと、真っ暗な中に少しだけ、光が見えた気がした。不安が全て取り払われたわけではなかったけれど、全てを失ったわけではないのだと、気付けた。

 私を想ってくれる人がる。
 ならば、ここで足を止めてはいけない。
 その人達とこれからの未来を生きるために、前に進まなければならない。



 一方で、諦めなければならないこともあった。
 桜ノ宮学園での生活だ。

 輝一郎さんの財力では、これまで通り学園に通うことは不可能だ。

 けれど、学校に居辛くなった私には、ちょうどよかったのかもしれない。
 春休み前の終業式の日に寮の荷物を片付けて、私は桜ノ宮学園を去った。
 クラスメイトが、同級生が、上級生が、皆が私を見ていた。校舎の窓から、地上にいる私を見下ろしていた。

「叶羽!」

 私を呼び止める声が聞こえた。振り向くと、夢香が私を追いかけて来ていた。私の前で立ち止まった彼女は必死な顔をして言った。

「諦めないで! また戻って来て! 特待生制度だってあるんだから! 絶対、絶対また一緒に学園生活を送ろ!」

 一人でもそうやって私に声を掛けてくれることが、嬉しかった。
 嬉しかったけれど、それは守に言ってもらいたかった。

 私を想う彼女の気持ちを無下にする自分が、自分からは彼のもとへ行かないクセに追いかけてくれるのを期待していた自分が、酷く醜いと思った。

 それでも、あの事件以来会っていない守の姿を一目見たくて、好奇の眼差しを向けてくる群衆に、再び視線をやった。

 大勢がいる中で、なぜか守の姿を見つけることができた。
 彼は人気ひとけの無い場所に一人で佇み、私を見ていた。

 別荘で階段から転落した私を見ていた時は、あんなにも心配そうに、今にも泣き出しそうなくらい顔を歪めていたのに。

 彼の顔には、一切の表情が無かった。
 氷のように冷たい瞳で、私を見下ろしていた。

 なぜ、そんな目を向けられているのだろう。純粋な疑問だったが、答えはすぐに見つかった。

 私は聞きたくもない真実となってしまった物語を、同級生だけでなく、上級生からも、短期間でたくさん囁かれてきた。

 彼の身にも、同じことが起きていたはずだ。

 私はそんな生活から逃げることができても、彼はこれからもその中で生活していかなければならないのだ。

 汚名を着せられたまま、三年生になり、高等部に上がり、大学部に上がり、社会に出て行くことになる。

 それまでの期間に、いったい何度、彼は心を、その存在を、否定されることになるのだろう。

 彼が私を怨むのは、当然だ。
 私が告白なんてしなければ、こんなことに巻き込まずに済んだ。

 せめて、私と離れてから、いつか、いつかの未来では、この出来事を上塗りするくらいの、たくさんの幸せが、彼に訪れますように。

 無責任にそう願いながら、私は桜ノ宮の敷地を出た。

   

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