見出し画像

緑玉で君を想い眠る㉚(最終話)

They sleep thinking of ……

 会話が途切れた。

 私達の席ではない。私の左斜め後ろの、老夫婦の会話だ。食器が擦れる音が微かに聞こえた。先ほど運ばれていた紅茶を飲んでいるのだろう。

 私はその瞬間、意を決して振り向き、声を掛けた。

「あの、すみません」

 私に席が近かった老夫婦のご婦人が、振り向いた。彼女の正面に座っていた紳士も、私の方を向いた。

「エメラルド婚式って、何ですか?」

 老婦人の会話に何度か出てきた単語で、店の人からは「おめでとうございます」と言われていた。単語一つくらい検索すればすぐ意味がわかるが、温かな笑い声に誘われて、直接訪ねてみたくなった。

 二人は顔を見合わせて、一度小さく微笑んだ。ご婦人は私と向かい合うように座り直す。

 全部で十五席前後しかない小さな店なのに、フレンチを提供するからか、席は隣り合わないように少しズラして椅子と机が配置されている。それでもこちらに体が向くように座り直してくれたところに、細かな気遣いを感じた。

 ご婦人は正面から見ると、ウサギのように可愛らしい顔立ちだった。

「結婚五十五周年のお祝いのことです」

 ご婦人はその優しい微笑みのまま、答えてくれた。

 三十歳前後で結婚していたとすると、お二人は八十五歳前後ということになる。

「五十五周年……! おめでとうございます!」

 その言葉しか出ないのが情けないが、素直な気持ちだった。

「ありがとうございます」

 ご婦人と紳士は、柔らかい顔立ちをもっと柔らかくして笑った。

「本当に、この歳まで二人とも元気でいられて、よかった」

「一昨年は大切な人を一人、亡くしましたからね」

 紳士は日差しに照らされた海のように綺麗な目を、少し潤ませているように見えた。

 思い出に浸るように、二人は室内を見渡す。

 白いテーブルクロスが敷かれた正方形の机が、程よい距離感で並んでいる。ジャズがゆったりと流れていて、昼間でも落ち着きがある。年月を感じさせる床は、歩く度に音が鳴る。外観の素朴さを忘れさせない大きな格子の窓。そこから見えるのは、建物内に入るまでに辿った、整備された一本道と目が覚めるような緑の芝生。窓枠で切り取られたその景色は、初めて来たのにどこか懐かしさがある。店内には暖炉のようなものがあり、かつて人が住んでいたような生活感の残り香がある。フレンチのコースを食べるには、少し素朴な場所だ。

「思い入れのある場所なんですか?」

「私達、ここで結婚式を挙げたんです」

 幸せそうに、彼女は笑った。

「どんな感じでしたか⁉」

かおる、そんな、急にご迷惑だよ」

 私の向かい側に座っていた彼氏が、音にするとたった三文字の、しかし書くととてつもなく画数が多い名前を呼んで言った。

 私の名前を決める時、母はおじいちゃんと何度か揉めたらしい。最初は素敵な夢を持てるようにと、「夢」という漢字を使いたかったそうだが、「夢は持つだけじゃ意味が無い。夢も願いも誓いも、叶えようと羽ばたいていく勇気が無いと」と駄目出しされたらしい。母は「香」という字がもともと好きで、可愛いイメージもあるから、この漢字を使った名前も考えていたそうだが「自分は飾り物だと思って言いたいことも言えなくなったら悲しいからね。自己主張してもらわないと」と「馨」という字を勧められたとか。その後いろいろいな名前を考えたけれど、結局この字に戻って来たそうだ。おかげでこの方、言いたいことを言いまくってたくさん人と衝突もしてきた。というのは、冗談でもあって、事実でもある。ついでに敏感肌にも優しいシロノシリーズの基礎化粧品のおかげで、この歳になっても肌の綺麗さには自信がある。父と母からはおじいちゃん似だと言われたが、私はシロノ最強だと思っている。

 私のちょっとした生い立ちの話は、今はいい。

 彼氏の制止に対してご婦人は「いいんですよ」と言い、紳士も笑顔で手を横に振った。ご婦人が柔らかに話す。

「温かみを感じる、素敵な式でしたよ」

 もっと詳しく聞きたい。
 私が次の質問をする前に、逆にご婦人に訊ねられる。

「ここで式を挙げられるご予定なんですか?」

「はい、式場をどこにするか迷ってて。ここは祖父から教えてもらったところなんです。絶対に幸せな式になるから、って」

 おじいちゃんにしては、随分と論理が破綻した、否、論理も何も無い理由だ。

 でも、だからこそ、気になった式場だ。
 あのおじいちゃんが言葉で説明できない場所が、どんな所なのか。

 今日は式場候補であるこの洋風建築のフレンチレストランに、下見兼ランチに来てきた。

 季節的なものなのか、料理はどれも柑橘系のさっぱりとした味で、野菜やフルーツで見た目も軽やかで鮮やかだった。メインの肉料理も、すでに五品食べきっているのに、完食できた。これから私達のテーブルはデセールだ。

「もしかして、おじいさまも、ここで式を挙げられたんですか?」

 今度は紳士が訊ねた。

「いえ、祖父は別の場所だそうです。招待されたら行っていたみたいですが。虫が嫌いだから、自分がガーデンウエディングをするのは無理なんだそうです。」

 本当に、論理が破綻している。
 ではなぜ、この式場を勧めたのだろう。

 おじいちゃんの意味不明エピソードを聞いて、二人はまた目尻を下げた。ご婦人が口を開く。

「どこで式を挙げても、大切な人となら、幸せな式になると思いますよ」

 彼女の言う通りだ。

 だって、おじいちゃんとおばあちゃんは、私の理想の夫婦像なのだから。

 両親も仲が良いけれど、それはおじいちゃんとおばあちゃんあっての関係だったのではないかと思う。

 母曰く、「おじいちゃんはおばちゃんが大好きだったからね」だそうだ。

 でも、おばあちゃんだっておじいちゃんが大好きだった。

 それは別に、綺麗な顔立ちだったからではないと思う。

 面倒見がいい、という言葉でまとめると、男女関係においては素っ気なくなってしまうが、おじいちゃんはそういう性格だったようだ。

 普通なら溜め息を吐いて見放してしまうような事柄でも、おじいちゃんはそうはしなかった。
 待っていてくれる、置いていったりしない、そういうやさしさが、おばあちゃんは好きだったのだと思う。

 だから、おじいちゃんに看取ってもらえたおばあちゃんは、幸せだったと思う。

 おばあちゃんが大好きだったおじいちゃんは、おばあちゃんが亡くなったらそのままぽっくり逝ってしまうのではないかと思っていた。

 なのにそれからも、一人で生き続けていた。

 細身で華奢なおじいちゃんの方が、おばあちゃんよりも早く死ぬと思っていたから、正直驚いた。

 母の、一緒に住もうという提案も断っていた。「一人になったわけじゃないから」と。

 意味がわからない。一人ではないか。おばあちゃんと暮らしてきた家で、一人になっているではないか。

 でも、一昨年のおじいちゃんの葬式にたくさんの人が来てくれて、その意味がわかった気がした。

 泣きながら「俺の遺言書く約束だろ! 何で先に死んでんだよ!」と怒っている老紳士を、奥さんらしき人が泣きながら「不謹慎!」と注意していた。おじちゃんよりも人間離れした美しい顔の老紳士は、無言でずっと手を合わせていた。声を上げずにハンカチをずっと目に当てたまま、静かに泣いている小柄な老夫婦もいた。顔は最後まで見えなかったけれど、その背中から、おじいちゃんをどれだけ大切に想っていたのかが伝わった。

「再来年は古い友人のお祝いがあるから、まだ死ねないよ」

 という言葉も虚しく、逝ってしまったのだけれど。

 おじいちゃんは、たくさんの人に愛されてきた人生なのだとわかった。

 おじいちゃんがお祝いしたかった人は、誰だったのだろう。その人は、葬儀会場にいたのだろうか。おじいちゃんはそのお祝いまで生きるつもりだったようで、あらかじめ用意されていたプレゼントや手紙の類いは無かった。そもそもその相手は、今も生きているのだろうか。

 ご婦人が私に訊ねる。

「おじいさまはどこで式を挙げられたんですか? そちらは候補には?」

「それは教えてくれなかったんです。恥ずかしいとかなんとか。本当に、意味がわからないところがあったんですよ」

 プロポーズが成功した時、おばあちゃんのお腹にお母さんがいるとわかった時、お母さんが生まれた時、お母さんが結婚した時、私が生まれた時……。そういう時は誰よりもボロボロと泣いていたと、おばあちゃんとお母さんから聞いた。なのに、自分達が結婚式を挙げた式場を教えるのは、恥ずかしいだなんて。

「別に、泣くのは恥ずかしいことじゃない。弱さを見せられる相手がいるのは、良いことじゃないか」

 そう言っていた気がする。

 その時は言い訳だと思って「へー」程度にしか聞いていなかったから、おじいちゃんが言っていた言葉が合っているか、自信がない。でも、おおむね合っていると思う。

 おじいちゃんは、「幸せ」で惜しげも無く泣ける人だったから。

 老夫婦は顔を綻ばせた。その後、時計を見た紳士が言った。

「そろそろ行かないと、遅くなってしまうんじゃないですか?」

「あ、本当だ。すみません、私達、そろそろ失礼します」

「とんでもないです。突然話し掛けてすみませんでした」

 あぁ、結局ここでの挙式のこと、あまり聞けてない。老夫婦が帰り支度をしているのを見てそう思った。けれど「いえいえ、こちらこそ楽しかったですよ」と笑顔になる二人を見て、聞かなくても、これが答えかと感じた。

 荷物を持って、最後に机の上に置いていたらしいタンポポの花を、二人で一つずつ持った。そのまま私達に会釈して、手を繋いで、去っていく。道端かこの館の庭で見つけて、摘んだのだろうか。

 そういえば、おじちゃんは死ぬ前、病院の庭で見つけたという綿毛になったタンポポを、お見舞いの花とは別の、小さな瓶に飾っていた。

 何でわざわざ、そんな、死の間際みたいな状態の花を摘んできたのだろうかと、疑問に思っていた。

 だって、黄色くて明るい花の状態ではなくて、よりによって風が吹いたら無くなる、消える寸前の姿だ。縁起でもない。と、私は感じていた。

 調べてみると、黄色い花の状態だと、『幸せ』や『真心の愛』という花言葉があった。なのに、綿毛になると、『別離』という意味に変わるらしい。やっぱり、縁起でもない。

 だからその花を捨てるよう伝えるために、それをおじいちゃんに言ったら、

「違うよ。『別離』は、人と別れるんじゃなくて、現在という時間に対してだよ。じゃないと、また花が咲いたりなんかしないよ」

 そんなことを言っていた。

 わかるような、わからないような。

 もう先が長くない人が語るその言葉を、どう受け止めたらいいのかも、私にはわからなかった。

「これで、進んでいけるよ」

 進んで逝ける、だなんて。
 再来年まで死ねないと言っていたクセに。
 何で諦めてしまったのだろう。

 そう思っていたけれど、今思えば、あれは「進んで行ける」だったのかもしれない。

 もし再来年まで生きられなかったとしても、あの綿毛に乗って、今年まで連れて行ってもらっていたのかもしれない。

 だったら、おじちゃんが亡くなった後、おじいちゃんを自暴自棄にさせたタンポポを怨んで息を吹きかけて飛ばしたのは、間違いではなかっただろう。勘違いで怨んでしまって、申し訳ないが。

 おじいちゃんが亡くなってから、毎年誰かがお墓の花立はなたてに入れているタンポポの花は、その時飛ばしたタンポポが花を咲かせてきたものかもしれない。

 老夫婦がお互いの手と同じくらい大切そうに握っているその花を見て、そう感じた。

 いや、絶対にそうだ。

 綿毛の話をしてから数日後、おじちゃんは逝ってしまった。

 まだ死ねないと言っていたから、無念だったろうと思っていた。なのに。

 安らかで幸福そうな表情かおをして、眠っていたのだから。



緑玉りょくぎょくきみおもねむる  了

【参考】
https://www.tokai-tv.com/yourscoop/archive/000252.html


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?