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緑玉で君を想い眠る⑮



 製品の開発協力をしてくれている矢切製薬に、定例ミーティングに来ていた。シロノと矢切の製品開発の中心メンバーが集まり、リモートで、時には対面でミーティングを行う。対面の時はシロノの社員が矢切まで出向くことになっている。

 矢切製薬の社長は日本の経済に多大な影響を与える、旧財閥の桜錦家と縁戚関係があるからだ。本来、シロノのような小さな会社に協力するようなところではない。

 なのに開発に協力してくれているのは、社長が変わり者だからだろう。叶羽さんが会社を立ち上げるために特待生になったという話を聞いて、「野心がある奴は嫌いじゃねーよ」と、社長に似つかわしくない粗野な言動で快く受け入れた。

 まだ三十四歳という若さで社長の彼は、経営の腕は確かなようだ。しかし、その天才気質故なのか、浮かべている笑みは相手を小馬鹿にしているように見える。言葉遣いも乱暴で、印象は良くはない。

「ごめんね。この人、もともとこういう人なの」

 と諦めたように言ったのは、開発・技術研究部のトップに立っている女性だった。矢切の新薬は彼女あって開発されていると言われている。社長より二つ歳下なのに、社長にそんなこと言ってしまう彼女は、なんと彼の妻だそうだ。社長相手にたくましい物言いができるのも納得した。

 聞けば彼女が、桜ノ宮の最初の特待生なのだという。薬学部を主席で卒業しているそうだ。ボクが特待生で同じ学部だったということもあり、シロノは彼女からも興味を持たれている。

 社長は一般人で何の後ろ楯もない彼女を、桜錦家の縁戚者でありながら、パートナーに選んだ。超が付く物好きというわけだ。
 つまり、彼女――紗羅さらさんがいなければ、ボク達は、桜ノ宮に特待生として入学したり、矢切製薬の協力を得られるという恩恵を受けられなかった、ということだ。

 社長――矢切れんは蓮センパイと呼んでいる。同じ学校を出ているのだから「先輩」であることに違いはない。良くしてもらっているのは確かだが、彼の粗野な言動には慣れきれない。「社長」と呼ぶのに、心が抵抗する。叶羽さんは、彼の風変りなところを面白いと言っているが。



 定例ミーティングの後、あらかじめ連絡を取っておいた紗羅さんに、社長室に案内してもらう。普段肩甲骨辺りまである長い髪は、肩の下辺りまでに切られていた。研究漬けだから、美容院に行ける時は短めに切ってもらっていると聞いた。その髪を一つにまとめた後ろ姿について行く。彼女は今日もノーメイクだ。本人曰く、「化粧の時間を研究に充てたい」だそうだ。化粧をしている姿は、プライベートや新薬発表のパーティーくらいでしか見たことがない。毎日化粧をしていたら、悪い虫がたくさんつきそうだと感じたし、その虫を蓮センパイが跡形もなく潰していそうだとも思った。特別可愛いとか綺麗とか、そういうわけではないけれど、彼岸花のように歪でありながら存在感のある形と鮮烈な緋色で周囲の目を奪う。そんな人だ。

 社長室が見えてきたところで、ちょうど来客中だったのか、扉が開いて人が出てきた。蓮センパイが、先に扉から出た人に向かって言う。

「お礼は『東宮とうみや』の最中もなかな」

「何でそうなるんだよ」

「会社には仕事の話をしに来いよ」

「したじゃないか」

「最初に少しな」

「僕が買って来なくても、『東宮』なら蓮はいくらでも食べる機会があるだろう」

「プライベートは別でアポを取れよ」

「蓮の遺言書書いてやるから、それでチャラでいいだろう」

「俺まだ三十代だっつーの」

「人間いつ死ぬかわからないんだから。ていうか君みたいな家柄の人は相続で揉めるから、いつ何が起きてもいいようにしておいてもらわないと」

「うっせー。美蘭みらん日葵はるきは揉めたりしねーよ」

 蓮センパイともう一人の人物が、ボク達に気付いてこちらを向いた。
 長い睫毛に縁取られた――守さんの瞳が、ボクを捉えた。

「じゃあ、僕は失礼するよ」

 逃げるように、この場を後にした。「またなー」と、蓮センパイは彼の背にひらひら手を振っている。一方で紗羅さんは引き止めるように聞く。

「え、もう? もう少しゆっくりしていきなよ」

「『文明堂』のカステラ、蓮に渡しといたから。紗羅は少しは休みなよ。雇用主の蓮を訴える時はいつでも相談に乗るよ」

 そう言いながら、彼は振り返らずに手を振った。カステラと聞いて紗羅さんは「っしゃあ!」とガッツポーズをしていた。多分、後半の言葉は聞いていない。社畜というより、研究熱心という言葉が合う彼女は、訴えようという気なども微塵もないだろう。

 入れ違いに社長室に入る形になって、開口一番に言った。

「守さんとはいつもあんな感じなんですか?」

「あんなって?」

 蓮センパイが何のことだというように聞き返した。来客用の、社長室の中央にあるソファーに通されるまでの短い間に、少し考える。

「なんというか……、喧嘩腰?」

 彼の物言いが皮肉を通り越して冷淡であることは知っている。だが、先程のやり取りは、それとは違う雰囲気があった。

 というか仮にも妻を亡くしているはずの彼は、なぜあんなにも普段通りなのだろう。もしかして彼が殺害したのでは、なんて疑念を抱いてしまう。この考えは、はたしてどこまで現実的なのだろう。

「遠慮しなくていいくらい、仲が良いんだよ」

 一緒に社長室に入ってきた紗羅さんが言う。机に置かれていた『文明堂』の袋から中身を取り出してあれよあれよという間に包装を解いて、カステラを一切れ手で掴み、口に含む。咀嚼してソファーに腰掛けてから、「ね」と蓮センパイに向かって付け足す。

「まぁ、子供の頃から知ってる仲だしな」

 確か、もともと守さんの父、治彦はるひこさんが矢切製薬を担当していたと聞いた。蓮センパイの従妹いとこ花園はなぞの栄華えいかさんが守さんと同学年で、学内では栄華さんが彼を連れ回していたとか。親と従妹いとこ繋がりで、昔から顔を合わせていた仲らしい。

 シロノがエスポワールなんかと契約できたのも、蓮センパイが間に入っていたからだろう。守さんはあまり乗り気ではなかったようだし、いつかは担当を替わりたそうだが。

「それに、相手も蓮だし」

 確かに、彼相手に真面目に丁寧に接していたら、対等に言い合うなどできなさそうだ。清々しいくらいいつも素なのだから、こちらもある程度何かを曝け出さねば、見合わない。

「……でも、仲が良いようには見えませんけど」

「え? そう? 仲良くない?」

 紗羅さんは不思議そうに問う。

「どこがですか?」

「何でも言い合ってるところ」

 そういえば、蓮センパイと紗羅さんも、喧嘩なのか何なのかわからない言い合いをよくしている。

 この二人にとっての仲が良いの基準は、何でも言えるかどうからしい。何でも、の限度はどう量っているのかは謎だが。

「……ボクにはよくわかりません」

 ボクと叶羽さんも、何でも話し合える仲だとは思うが、喧嘩のようなやり取りまではしない。

 話すことと言い合うことは、別物ではないだろうか。

 だが、これも一つの夫婦の形なのだろう。現に、蓮センパイと紗羅さんは、なんだかんだで仲が良い。それは付き合いが浅くてもそう感じるし、憧れでもある。

 そんな会話をしている間に、紗羅さんはカステラを一切れ食べ終えて、二つ目を手にしていた。この人、また昼食を摂り損ねたのではないだろうか。以前、定例ミーティングの直前にようやく時間ができたそうで、会議室で焼き鳥を食べていたことがあった。シロノが来る前には食べ終わっているはずだったそうだが、他の案件について研究員とやり取りをしている間に、ボク達が到着してしまったのだ。「……お世話になってまーす」と言いながら、一口しか食べた形跡がない焼き鳥を紙袋に戻していた。彼女と話をしていた研究員は「すみません……」と申し訳なさそうにしていた。社長の妻だからという意味ではなく、彼女の多忙を心配して、矢切の研究者が彼女を気遣っている姿は幾度となく見てきた。だから、その日は遠慮せずにそのまま焼き鳥を食べてもらった。

「で、由貴は何用?」

 仕切り直すように、蓮センパイが口を開いた。

「護身術を教えてほしいんです。今日とか明日から使える、素人でも簡単にできるやつ」

 蓮センパイは昔空手を習っていたと聞いたことがある。桜ノ宮卒は護身のために武道を習っていたという人は珍しくない。

「……ふざけてんのかよ」

「大真面目です」

「プライベートは別でアポを取れよ。てか、お前武道の経験は?」

「ありません」

 彼の口から盛大な溜め息が漏れた。

「あのなぁ、簡単な、って言っても、護身って力任せにやるもんじゃねーの。例えば腕を捕まれた時は、相手の指先側に腕を振り切らねーと、どんなに力強く振りほどこうとしても意味ねーわけ。それは理解できっか?」

「はい、勿論です」

「昨日今日覚えたことを、身に危険が迫ってる状態で、冷静に状況を判断しながら、実践できるのかよ。相手が刃物持ってたりしても、体が動くのかよ。せめて、動作を考えなくても、体が自然と動くようになるまで練習することを視野に入れろよ」

 ごもっともすぎる。きっと、言えばその練習相手にもなってくれるのだろう。だが、結婚式は明日だ。それまでに、少しでも叶羽さんを守れる術を、知識としてでも身に付けたい。犯人の目星が付けられないから、せめてもの悪足掻きだった。

「お願いします。何でもいいんです」

 頭を下げた。少しして、また溜め息が聞こえた。

「美蘭の出席許してくれたから、本当に簡単ですぐに覚えられそうなものだけなら教えてやる」

 蓮センパイと紗羅さんに結婚するという報告をしに行ったら、後日蓮センパイから大きな花束を渡されて祝われた。ボクが蓮センパイからプロポーズされているのかと錯覚するくらい、立派な花束だった。スッと通った鼻筋に、色気を感じる唇、涼し気な目元、服で隠れてわからないけれど筋肉質な体系、言動は粗野でも容姿だけは良いから、なおさらだ。

 会場の花の飾りつけも、彼が手配してくれた。聞くと、懇意にしている花屋があるらしい。その店長が人が良過ぎて経営が心配だから、とこうして時折大口の発注をかけているとか。紗羅さんとは月に一度、そこにピンクのバラを買いに行くそうだ。正直、ピンク色もバラも、紗羅さんのイメージではないが。

 ボクが紗羅さんの直々の後輩に当たるからか、野心を実現させた叶羽さんを応援しているのかわからないが、彼にはそういうところがある。

 まだ二歳だという日葵はるきくんはシッターさんに預けるそうだが、四歳になる美蘭ちゃんは、結婚式に来てもらう。「かなうちゃんのウェディングドレスすがた、みたい!」と聞かないのだと相談された日が懐かしい。

 顔を上げてお礼を言った。実際に動作しながら教えてくれるというので立ち上がった。それを機会に「あたしは研究に戻るね」とカステラ一気に二切れ手にした紗羅さんが退室する。……彼女は、所定の休憩時間はきちんと休んでいるのだろうか。

 それから「しまって行けよ……」と彼女が出しっぱなしにしていた残りのカステラを箱に戻した蓮センパイに、腕を捕まれた時の振りほどき方から、後ろから抱き押さえられた時の抜け出し方といった、少ない動作でできる護身を教えてもらった。

「一番簡単なのは、相手がすぐそこにいる時、足を踏むことだな」

「足?」

「そ。足は足でも、小指側な。小指と薬指の間とか付け根辺り。ここの骨は比較的弱いから、骨折させることも不可能じゃねーの。女性でも、相手を痛みで少しの間だけでも動けなくすることはできるかもな。それこそ、ヒールで力強く踏めば、かなりのダメージを与えられる。相手がすぐ近くにいても、難しいこと考えねーで、ただ足の小指ら辺を思いっきり踏めばいいわけ」

 蓮センパイがボクの足を踵で踏む真似をする。

 これならパニックで頭があまり働かなくてもすぐに実戦で使えそうだ。

 彼は片足を上げているのにふらついたりはしないし、バランスを崩して本当に踏んでしまうこともない。ちょっとした体の動作で、いざという時に自分自身や大切な人を守る術があるのだと思い知らされる。

「つか、何? 二人してヽヽヽヽ。何か狙われてるわけ?」

「別に。ちょっとストーカーに悩まされてるだけです」

 十五年も、付き纏うストーカーに。

「由貴が? それとも叶羽が?」

 その質問には答えずに、人生の先輩である彼に訊ねる。

「……もし紗羅さんが誰かに狙われてるとしたら、蓮センパイなら、犯人はどんな人だと思いますか」

「どんな、って?」

「紗羅さんの元カレとか、その肉親とか、昔の友人知人とか」

 彼は一切の表情なく、真面目な顔で言った。

「俺だったら、俺を怨んでる奴は誰かを考える」

 予想外の答えだった。

 狙われている相手は誰かという前提を、言い忘れてしまったかとも思って、問う。

「え? 何でです?」

「俺を苦しめたくて、俺の大切な人を傷付けようとしてると思うから」

 ――それは盲点だった。

 ボクを怨んでいる人が叶羽さんを……、という可能性も確かにゼロではない。

 ボクを怨んでいる人……。

 叶羽さんと違って、ボクはあまり人間ができていない自覚はある。学生時代も今も、愛想は良くないし、好かれる性格でもない。怨みなんて、知らない間に買っているに違いない。

 だが、叶羽さんが誘拐されたのは、ボクが小学生の時だ。そんな時からボクを怨む人なんて……。だとしたら、誘拐犯と脅迫状の犯人は、別人? 二つの事件は、切り離して考えるべきなのだろうか。

 二つの事件の犯人が別人だとして、ボクを怨んで、脅迫状を送ってくるような人……。

 ふと、顔もよく覚えていない、母が頭に思い浮かんだ。
 ボクの所為で、要らぬ苦労を掛けたかもしれない、母――。
 なのにボクは、苦労はあっても、叶羽さんと幸せな日々を送っている――。

「何? お前等、大丈夫なのか?」

 蓮センパイに怪訝そうな表情を向けられる。

「――大丈夫です」

 大切な人の身に危険が迫っているのは、ボクが原因なのだろうか。

   

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