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緑玉で君を想い眠る⑯

五話:剣を振るいし者


 結婚式当日。控室で準備を終えた私のもとに、輝一郎さんが来た。

「叶羽ちゃんも……とうとう結婚か……」

 私の姿を見てそう呟いて、背を向けてから手を目元に当てていた。

 ウエディングドレスのハイネックの小花柄のレースは、そのまま肩から手首と、ビスチェ部分を覆っている。ビスチェは腰の辺りでギャザーが入れられているワンピースだ。体のラインは拾いすぎずに、けれど広がり過ぎないほどよいボリューム感でスカートが流れている。

 定番のデコルテを出したデザインは私が着ると貧相になってしまったため、スタッフにアドバイスをもらいながら何度も試着を重ねて、ようやく決まったドレスだった。服が入らないという経験はないが、女性らしいボディーラインでもないため、恰好よく着こなせるわけでもない。あまり気にしないでいようと思ったけれど、この時ばかりは途中で泣きそうになった。ようやく由貴にも見せられるドレスが決まって見てもらった時、彼は顔を覆い「あ~」と言ってその場にしゃがみ込んでしまった。次に手を口元までずらして目だけを出すようにして、

「叶羽さん可愛すぎます。天使かと思っちゃいました」

 と言ってくれたのだった。その後も、長い時間待たされたことなどお構いなしに

「ナチュラルで柔らかい感じが叶羽さんによく合ってます。ガーデンウエディングですもんね。会場とも絶対に合います。ボク当日こんな叶羽さんと並ぶんですか?」

 などと早口で言っていた。私よりもスタッフが笑っていたのを、彼は気付いていただろうか。

 この日のために中学生ぶりに肩甲骨辺りまで伸ばした髪は、三つ編みを編み込んだハーフアップにしてもらった。

 輝一郎さんと暮らすようになってからは、髪はショートからミディアムの長さを保っていた。ドライヤーの時間やリンスの使用量を減らして、少しでも節約できるようにと思ってのことだ。髪が短いと手入れも楽だと気付いて、結婚式の日程が決まるまで伸ばさずにいた。

 輝一郎さんはようやく落ち着いたのか、振り返って再び向き合う形になる。

「今まで、ありがとうございました」

「何言ってるんだい。これでわたし達の関係が解消されるわけじゃないんだ。叶羽ちゃんは、これからもわたしの大事な娘だよ。でもまさか、ここで式を挙げるとは思わなかったな」

 そう言って輝一郎さんは、室内を見渡した。

 置かれている家具は全て変わってしまったけれど、以前は客間として使用されていた父の別荘の一室だ。

 父が亡くなってから別荘の管理もできなくなったため、輝一郎さんが売りに出した。そして別荘は、結婚式も行うフレンチレストランに姿を変えたのだった。一階がレストラン、二階が結婚式の準備室、庭がガーデンウエディングの会場となっているそうだ。

 もう森城の人間の持ち物ではなくなってしまったけれど、いつかここで式を挙げるのが、私の密かな夢でもあった。

 大好きな家族と幸せな時間を過ごしたここで、これから一緒に生きていきたいと思った大切な人と、新たなスタートを切りたかった。

 今はフレンチレストランに姿を変えてしまったけれど、内装も外装も、ほとんど変わっていない。

 洋風建築は窓までしっかり磨き上げられて、素朴な佇まいながら端々に気品がある。建物正面に広がる芝生もよく手入れがされていて、秋の渋さを含んだ葉は、太陽の光の下(もと)で輝いていた。建物まで続く一本道は汚れ一つない。

 式を挙げる庭も、透明な水の池があり、正面に広がる芝生と同様にしっかり手入れされた芝生が広がっている。名前はわからないけれど、恐らく咲き誇っている小さな花は、秋の花。そしてその奥には、森がある。その森の木から差し込む光は、昔と同じ、エメラルド色に輝いている。

 結婚五十五周年を、「エメラルド婚式」と呼ぶと知った時、その日を迎えたら、またここに来たいと思った。由貴と二人で、フレンチを食べに来たい。これまで重ねてきた時を思い返しながら、窓から広がる景色を眺めたい。その時眼前に広がる景色は、どんな風に見えるのだろう。

「……大丈夫なのかい? 痛い思いをしたのに……」

 輝一郎さんは、心配そうな眼差しを向ける。他にも何か言いたそうな、複雑そうな表情をしながらも、続きは言わない。……由貴から、脅迫状のことを聞いたのだろうか。

「それを塗り替えるくらいの、最高の思い出を作りますよ」

 けれどそれには触れず、それよりも少し先の未来だけを語った。

 いつまでも守ってもらう子供でいるわけにはいかない。

 これからは、自分で、そしてこれから一緒に生きる由貴と、二人で乗り越えていく。

 扉をノックする音が聞こえた。返答すると、入って来たのは由貴だった。

 私を見た彼は、驚いたように静止した。

 試着した時と同じような反応をされるのかと思ったけれど、そうではなかった。

 そのまま動かず、何かを考えるように、私をじっと見ていた。

「……由貴?」

 私が呼び掛けて、ようやく彼はハッとした。こんなことが、ずっと前にも、あった気がする。

「蓮センパイ達と会ってました。美蘭みらんちゃんが早く叶羽さんのこと見たいって言ってましたよ」

 全体は白地でボタンやリボンがベージュ色をした、モーニングコート姿の由貴が言った。私のドレスに合わせて、少しクラシカルなデザインにしたらしい。

「これから会えるよ、って伝えた?」

「はい、そしたら早く式場に行こうって、蓮センパイと紗羅さんの手を引いて行っちゃいました」

 それを聞いて、思わず笑みが溢れた。私達は、これからどんな家庭を築くのだろう、と頭の片隅で思った。

「ボク達も行きましょうか、叶羽さん」

「うん」

 その幸せに向かう前に、やらなければいけないことがある。


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