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今更ベリアルソロ水属性編

タイトルの通り今更ベリアルhlをソロで倒せたので備忘録的に残しておきたいと思います(※注意:本チャートは再現性が著しく低く、またベリアルというボスの性質上運による部分が非常に大きいことを念頭においてお読みください)。 編成編 ・ジータちゃん……ジョブはドクター。ML20は必須。ML20溜まってるとポーションを使った時に対象の奥義ゲージが30%上昇するのでこれがあるのとないのとではかなり難易度が変わってくる。筆者は最初レリックバスター使ってましたがヒュプノスクリス持ってるな

    • 今更ルシソロ水ロビンフッド編

      ※注意:本チャートは再現性が低いものとなっておりますのでご注意ください 記事のタイトル通り水ロビンフッドによるルシソロを達成しました。備忘録と水ロビンフッドでの攻略記事が少ないのもあるので再現性は低いけど残しておこうかなーと思ったので記しておく次第です。 メンバー選出編 主人公……トーメンターで秘器用意するのがめんどくさい、失敗したときに作り直すのがつらいということでアクロバットヴォレイとフォックス・リターンズでスロウを実質的に2枚使えるロビンフッドを選出。フォリア弓を

      • 今更バブソロ水ロビン(8/30追記)

        タイトル通り今更バブソロしたのと水ロビンフッドでの攻略例が見つからなかったので、扇抜なしでの編成もあるよってことで備忘録的に残しておこうかと思います。 選出メンバー ・ジータちゃん……主人公。アビはアクロバットヴォレイ、ディスペル、グラビティ。ロビンフッドなので50%以降気持ちグラビが入りやすいかもしれない。ただし後述するヴァジラ1アビは忘れずに入れておかないと入らないかも。 ・ヴァジラ……何やっても強いキャラ。1アビで累積弱体耐性ダウンと累積攻防ダウンを積めて2アビで

        • 社会のすみっこ暮らし、ニジガクを見る

          どうしたって消せない夢も止まらないなんとかかんとかで長男だから頑張れたアニメ(漫画)が流行っている昨今、皆様はいかがお過ごしだろうか。 アーカードの旦那が人間を礼賛するように、あるいはジョースター家に紡がれる黄金の精神のように、「諦めることを諦める」という人間賛歌は尊く、素晴らしい物であるというメッセージ性を持って我々に君臨している。 「鬼滅の刃」作中において主人公炭治郎が自分を鼓舞するために言ったセリフが印象的なのだが、この人間賛歌というやつの厄介なところは、まず前提と

        今更ベリアルソロ水属性編

          社会のすみっこ暮らし、塗る

          なんでガンプラは手足が二本ずつあるのか。 そして関節のパーツも3パーツ構成なのか。全塗装ないし部分塗装をする諸兄諸姉は皆々そのようなことを思ったことが、一度はあるのではないだろうか。 などとクソデカ主語をぶちまけてみたが、要は四ヶ月放置していた積みプラをちまちま塗り重ねていたらトップコート以外は終わったと、そういうだけの話である。 ガンプラは組んで塗装してトップコートすれば終わりが見える。ただ、その道のりは険しく苦しい。 これでディテールの追加なんかやった日にはもう地

          社会のすみっこ暮らし、塗る

          社会のすみっこ暮らし、漂う

          世界がどうにも変な方向に転がっている。 それは自分を取り巻くものであったり、あるいはその外側で回り続けるものであったり。 ゼロ年代に僕らが漠然と抱いていた、炭酸飲料のような未来はついぞ訪れなかったけれど、あの時テレビで観たような、やけにテンションの高いCMと、そして、夏の匂いを覚えている。 あの頃に帰りたいのだろうか。たまに思う。ベイブレードを回して、友達の家でポケモンをやっていた僕は、こんな未来を想像していたのだろうか? そして、戻れたとして、この未来を前にきっと僕

          社会のすみっこ暮らし、漂う

          社会のすみっこ暮らし、考える

          何故山を登るのか、という問いかけに対して「そこに山があるから」と答えたのは聞かれることにうんざりしたからだと、そう聞いたことがある。 作者の気持ちを答えなさいという文章題が出された時、題材になった作者の娘が作者本人に聞いてみたところ、真相は「締め切りのこと以外考えてなかった」とのことで、それを書いたら不正解になった、という噂も同様だ。 要するに、なんで書くのかと、そういう話である。 多分これは備忘録のようなものだろう。書いていないと、メモしていないと、忘れて、見失って、

          社会のすみっこ暮らし、考える

          社会のすみっこ暮らし、彷徨う

          エッセイじみた物を書こうと思ったことに理由はない。ただ単に、このまま年が暮れていくのもなんだと思った、それだけの話だ。 十月。ちょっと前まで九月だったのに、それすら終わろうとしていて、2020年という激動の年もまた百代の過客として、どこかに行こうとしている。 時代という船に揺られている我々はどこに行くのだろうか。経済学者が、あるいは政治家が、そんなことを日々喧々轟々と議論しているのだろうけれど、社会の隅っこでひっそりと息をしている私は、どこに行けばいいのかわからない。

          社会のすみっこ暮らし、彷徨う