社会のすみっこ暮らし、漂う

世界がどうにも変な方向に転がっている。

それは自分を取り巻くものであったり、あるいはその外側で回り続けるものであったり。

ゼロ年代に僕らが漠然と抱いていた、炭酸飲料のような未来はついぞ訪れなかったけれど、あの時テレビで観たような、やけにテンションの高いCMと、そして、夏の匂いを覚えている。

あの頃に帰りたいのだろうか。たまに思う。ベイブレードを回して、友達の家でポケモンをやっていた僕は、こんな未来を想像していたのだろうか?

そして、戻れたとして、この未来を前にきっと僕は駆け抜けたゼロ年代を楽しむことはできないのだなあと、そこに一握りの茫漠を見るのだ。

そんな他人事じみた、命の価値も磨耗し切った世界を描く漫画がある。

「機動戦士クロスボーン・ガンダム DUST」という漫画だ。ポストアポカリプスになる寸前の、人心が荒廃し切った時代で尚足掻き続ける「心」を描いた作品だ。

前作「ゴースト」では「命」を、「DUST」では「心」を。大切な行き先を忘れて、我々も宇宙世紀人のように、彷徨い続けるのだろうか。

そして社会のすみっこ暮らしである私も、宙を舞うひとひらの塵のように電子の海を漂っている。

誰かに、より多くの人に書いた文章を読んでもらえたらと、ただそう願いながら。

下記はその宣伝であり、本項の結びである。

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