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33歳、音楽のたしなみ方。

若かりし頃…それこそティーンエイジャーくらいの時代、わたしにとって音楽・アーティストといえば「代弁者」であった。
彼ら彼女らが、メロディに乗せる歌詞に共感し、時に心弾ませ時に涙を流し、救われてきた。

それがいつからか、音楽に求めるものが共感ではなくなってきていることに気がついた。
「過去を振り返させるもの」もしくは「心の震え」となっていたのだ。特に最近は圧倒的に後者である。歌詞の意味は考えず、ただただ、耳馴染みの良さを求める。

結果として、メロディラインの心地よい洋楽や(そして和訳を見てそのギャップにビックリする)、言葉選びの気持ち良い邦楽アーティストを選ぶことが増えた。無心で音楽に身を委ねる。それはそれで、幸せな音楽とのかかわり方である。

ある日、ラジオから流れてきた洋次郎の歌声に、思わず家事の手を止めてしまった。

RADWIMPSの「正解」、もともと2018年にテレビ番組のため書き下ろされた楽曲を、新録音源として今年の2月にリリースしたらしい。
新たな門出を迎えた若者への讃歌。エモーショナルなメロディラインと歌詞に胸を打たれる。

思えば、わたしがRADWIMPSに出会ったのは、今から18年前(!)、高校1年生の時だった。クラスメイトの男子が、おすすめの曲をMD(!)に焼いてくれたのだ。そのリストに含まれていた、彼イチオシの「愛し」「ふたりごと」を聴いたことがきっかけで、わたしは全くもってこのアーティストの虜となった。

すきだった男の子の自転車の荷台に座り、RADの曲をひとりで歌いまくった。黙って自転車をこぐ彼は、何を思っていたのだろう。むちむちに太ったわたしを乗せて自転車をこいでいたから、それどころではなかったかもしれない。

当時は着うた(!)ブームで、今思えば恐らく問題のある無料サイトが横行していた。そんなところからまんまとダウンロードした「トレモロ」を、早朝、ガラケー片手に爆音で流しながら自転車通学していた時期もある。片道およそ10キロ。イヤホンなど持っていなかった。

当時のRADといえば、「僕と君のあいだの世界にうつつを抜かしている」と言えてしまうような、うら若く幸せで悩ましい曲がたくさんあって、まさに「わたしと彼の世界にうつつを抜かしている」タイプの女子高生だったわたしには響きまくりだった。

そんな女子高生もあっという間に女子高生ではなくなり、色んな出会いや別れを経験したりしなかったり、これまたあっという間に母親になっていた。
同じ時の流れの中で、彼らはいつの間にか世界的なアーティスト、曲の内容も、あとはタイアップも、気づけばなんだかすんごい事になっていた。朝ドラなんかにも出たりして。

個人的に、アーティストの人柄どころか構成メンバーなんかも全然興味がなく、何十年も聴いているバンドが何人なのかも気にしてないくらいなので、RADがこれまで辿った軌跡は全く知らない。
けれど、この「正解」を聴いて思った。あぁこの曲は、今の彼らだからこそ歌える曲である、と。

きっと、恋だ愛だに悩んだり世間に中指を立てたり、わたしの想像に及ばないような辛苦を経験したからこそ、作れたのだ。
だからこそ、今まさにこの歌詞の渦中にいる世代の背中を押してくれる楽曲に仕上がったのだ。

そして、そんな時期をとうに過ぎてしまったわたしの胸にすら深く突き刺さるのだ。
あのRADの曲だ、と思うからこそ。洋次郎の歌声が、優しすぎるからこそ。
歌詞のどこを切り取っても、心のどこかにいる「あの頃のわたし」を見せてくれる気がする。胸が締め付けられる。あぁ心って、ここにあるなぁと思う。そして、なぜだろう、同時に「今のわたし」を応援してくれている気がする。

この曲を「自分ごと」としてリアルタイムで聴ける若者を羨ましくも思うし、一方で、かつてRADと交差した人生があるからこそ抱けるこの感情も、すさまじく尊いものだ。ははんどうだ若者よ、羨ましいだろう?

古参を気取るほどのファンではない、共に歩んできた訳ではない。でも心から思う、わたしの人生に寄り添ってくれて、有難う。

そんなこんなうだうだ書いたが、あいも変わらずわたしはジャンルや世代問わず音楽を愛している。

新たなアーティストだって、どんどん開拓していきたい。案外柔軟なつもりなのだ。これからの音楽との出会い、その年齢だからこそ抱ける感情を抱けることが楽しみである。

そうそう、SUPER BEAVERがいきものがかりをカバーした「コイスルオトメ」、これがほんとうに良くてたまらない。

そんなこと言っているが、いつまでたっても「SUPER BEAVER」を思い出したいときはまず「Vaundy」が浮かんで、どっちがどっちなのか本気で分からんくなってしまう。それも毎回だ。
それから、オリビア・ロドリゴとビリーアイリッシュの区別がつかない。これもどうしたもんか。

わたしの感性も、耳も、記憶力も、ちゃんと歳をとっている。それはまぎれもない事実だ。

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