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物忘れの母と一緒に聞いた父の病気告知

翌日が父の腹部大動脈瘤の手術を控えて、どんな手術をするのか病院から家族に説明があった。
父、母、私の3人で話を聞くことになっていた。

ただし、病院にはちょっと早めに来てくださいと言われいた。

まず、母と私、2人だけに父の病気の状況が告知された。
説明をしてくれた先生は、翌日腹部大動脈瘤の手術を行なってくれる心臓血管外科の先生だった。

まず、父の腹部大動脈瘤は8センチ近く大きくなっていて、いつ破裂してもおかしなく状況であること。破裂する=死であるということ。この大きさは、先生もここ数年では見ないくらいの大動脈瘤の大きさらしい。よくここまで生きていたのが不思議なくらい(裏を返せばよくここまで放っておきましたね・・・お恥ずかしい)。
手術は2通りあって、この腹部大動脈瘤をお腹を切って取り出す方法。もう一つはカテーテルを使ってステント手術をして血管を補強する方法。

でも父には選択肢がなかった。

腹部大動脈瘤と一緒に発見された胃癌があるからだ。
「初期の胃癌では内視鏡で手術できますが、お父様の胃癌はもっと進行している胃癌です。でも、詳しいことは検査をしないとはっきり言えませんが、胃癌は開腹手術できるレベルだと思います。お父様も年齢の割に体力のある方なので、できれば、今回の腹部大動脈瘤はステント手術をして、体の負担を軽減して、その手術の入院期間中に胃癌についてもっと詳しく検査させてもらいたんです。腹部大動脈瘤を開腹してとる手術だと、もっと体力が回復するのにやはり時間がかかってしまうので、いち早く胃癌の状況調べて、胃癌の手術することを勧めます」
とのことだった。
もっとも父の胃癌はこの総合病院に来る前の個人病院でのCT検査のときに既に発見されており、その時点で分かってはいたけど、大きな病気を2つ、いきなり本人に告知するとショックになるかもしれないから、緊急性の高い腹部大動脈瘤を告知して、胃癌の方は、胃腫瘍・胃潰瘍の疑いと父には一旦は伝えているとのことだった。

選択肢はない。
「ステント手術でお願いします」
私は、そう先生に伝えた。

父も母もインターネットはしない。実家に戻って母から、父が胃癌の可能性があると聞いてから、私はスマホで検索しまくった。
消化器系の癌は、ステージ3(手術できる段階)までとステージ4では生存率が大きく異なる。
胃癌が手術できる状態なのであれば、手術するに越したことはないのである。

父には体力がある。そう、この父。80過ぎても、雨の日、雪の日など天候が悪い日以外は毎日5キロ散歩して、人一倍健康に気を使っている人なのだ。
そして、血液がサラサラになるからとエゴマオイルをごはんにかけて毎日食べている。

そう、誰よりも健康に気を使っているのだった。

だがしかし、80代の父と母には、事前に健康診断をして、病気を早期に発見するという概念がない。
私が生まれて間も無く、夫婦で自営業をしていた二人には、病院は、体調が悪くなってから行くものという概念なのだ。
会社員になってから、毎年健康診断を受けていた私は、両親が市の健康診断を受けていなかいことは気になっていたが、こういう形でことがやってきたか・・・と思った。

そして昨年、父が胸の辺りが苦しくなって、病院に行き、鉄分が足りないと診断されていたけど結局それは、胃癌が原因だったのではないかと思った。
時既に遅し・・・いや、その時でも同じような診断だったかもしれない。
考えても仕方ない。

母は状況がわかっているような、わかっていないような感じであった。
母の弟(私にとっては叔父)は約40年前に胃癌で39歳の若さで亡くなっている。
当時は癌にステージという概念もなく、癌=死であった。
そのこともあったので、母は結構ショックが大きいのではないかと思った。
しかし、母は叔父が亡くなっていることはわかっているが、その亡くなり方は
覚えていなかった・・・・

ああ・・・不幸中の幸い?

そうこうしているうちに、父が入院している部屋から外来まで降りてきて、
3人で腹部大動脈瘤の手術の方法を先生から説明を受ける。

「ステント手術であれば一週間から10日ぐらいで退院できます。
 その間の入院期間中に胃潰瘍の方も検査させてください。」
先生はそう言った。

父は私たちの表情を見て、手術を不安に感じていると思ったのだろう。
「大丈夫や。お父さんは今までも運が良かったんやから。」
と言って、今まで死にそうになったけど免れた話を家族だけではなく、
病院の先生の前でもし始めた。

子供の頃、不発弾があって、父の兄と父と近所の子で不発弾を分解したのだけど、分解しても何も出てこなかったので、父たちは自分の兄を残してその場を離れた他の場所に遊びに行った。その途端に、爆弾が爆発。
父の兄とその同級生3人はそれが原因で亡くなった。
父が死の難を逃れた話その1。(日本の戦後の話)

父が会社員をしてた頃、いつも乗って帰る電車よりも1本前の電車で帰ったら、いつもの時間の電車が脱線事故を起こして、たくさんの人が亡くなった。父が死の難を逃れた話その2
あと、、、何だっけかな。

まるで自分を鼓舞するかのごとく、父は話始めた。
いや、私たちを安心させようとしたんだな。

お父さん。違うのよ。腹部大動脈瘤の手術がすごく心配なわけじゃなくて、
お父さん、胃癌ももっとるんよ。そっちが結構心配なんよ。

その時点では言える話ではなかった。
とりあえず、腹部大動脈瘤の手術は、ステント手術で、あとは先生にお任せするしかなかった。

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