珈琲と沈黙

 ぬるくなった珈琲は嫌いだ。酸味が際立って、後味が悪い。私は運ばれてきた珈琲をなるべく早く飲んでしまおうと急いで口にした。彼女は紅茶に角砂糖を2つ入れ、音をたてないように静かにグラスの中を回している。私たちは都内の駅から少し離れた閑静な住宅街のアパートの一室で2年前から同棲を始めた。「天気予報、ちゃんと当たったね。」何となくついていたニュース番組で今日は都心で急な豪雨の可能性があるとか言っていた。家を出たときは小雨であったけど、あまりにも雨が強くなってきたので私たちは一時的に近所の喫茶店に逃げ込んできたのだ。久しぶりに休日が被ったので、上野の美術館に出かけようと意気込んでいたが、滝のような雨に見舞われ私はすっかり萎萎としてしまった。

 彼女は私の憂鬱を感じ取り、不機嫌そうになっていった。大学のサークルの歓迎会で知り合ってから付き合っている私たちは、今年で交際6年になる。お互いの仕事が安定してきたら結婚を考えるということで何となく話はまとまっていて、私も全くそのつもりでいる。喫茶店の中には心地の悪い沈黙が続いていた。私はジーンズの後ろのポケットからマルボロを取り出して火をつけた。「どうしようか、この後。」彼女は仕方なさそうに呟いた。窓の外の雨は全く収まることなく、激しい音を立ててコンクリートに打ちつけている。「この雨じゃあ、暫くは外に出れそうにないな。」大きく吸い込んだ煙をゆっくりと吐き出してから私は言った。湯気を立てていた珈琲はゆっくりとその温かさを奪われていった。

 私たちは沈黙の意味を理解し合えないほど浅い関係ではなかった。今回は些かよくない沈黙だ。無言のうちの不機嫌が伝染して不機嫌を生み出す負のスパイラル、私たちは今この連鎖の中にいる。お互いの心を理解し合えるというのは終着点でなく、むしろ出発点だ。ちょっとした仕草や目線で相手の感情が何となく分かってしまう。言葉にするまでもないと言えば聞こえはいいが、無言のうちに苛立ちが伝染していくと、これを回復させていくのは難しい。沈黙の憂鬱は言葉にすればそれは紛れもない事実になってしまう。思うことと口にすることでは全く意味が異なるのだ。私たちはそのことも理解しきっているから簡単にこの憂鬱に対して口を開かない。

 無言で煙草をふかしていると、喫茶店のマスターは私たちのテーブルに皿を運んできた。そこには綺麗な焼き色のついたチーズケーキが1切れ乗せられていた。ちょっと切り分けるときに形が崩れちゃって、といって普段から贔屓にしている私たちに持ってきてくれたのだ。「二人で食べよっか」彼女はそう言って1口チーズケーキを食べた。「すっごくおいしい。祐一も食べなよ」固まっていた空気が少しづつ溶けていった。「この後も天気どうなるか分からないし、いつもの店で鍋食べてビールでも飲まない?」「そうだね、今日は遠出日和ではなかったね」彼女は安心したように微笑んでそう答えた。チーズケーキの甘味は、さめた珈琲の酸味とよく馴染んだ。

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