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身体も楽器も一からやり直しの刑


さて、第一回目の施術後のお話です。

前回の記事はこちら↓


自分の身体の状態が酷いことが判明、そして今出来なくて苦しいことは全て身体が関係していた。

家に帰って、とりあえずご飯の支度。

包丁を握る。

。。。。。。

り、力んでる、、、肩が上がる。。

料理する時さえ身体が緊張している、、


フランス語勉強しようと思って、文字を書いてふと気がつく。

文字書くときも力入ってる。


買い物へ行くために道を歩く。

歩いてる時も身体がこわばっている。


楽器だけでなく、日々の行動全て、脱力とはほど遠く、全身緊張しっぱなしであることに気がつくのです。


気づいてしまった時、自分の身に起きていることが怖くなってしまいました。わからない時の怖さからの、わかった時の怖さ。

痛みに気づき、原因がわかり、あらゆる動作や場面で自覚する。絶対通らなければならない道だとはわかっていたけれど、気づけば気づくほど、症状の重さに途方にくれ、メンタルはなかなか上がりません。

気づかなければずっと力んだまま。ふと我に返ってリラックスすることを試みるも、24年間力みっぱなしといっていい身体がそんな素直に言うこと聞いてくれるはずがない。悔しい、辛い、投げ出したい。

楽器を吹くことも、学校へ行くことも、長い間休んでしまって、身体のことに専念すると言うのが一番いいに決まってる。

だがしかし現実そんなわけにはいかない。

レッスンは毎週やってくる。演奏会も、日本の時より頻度が高い上に練習時間は十分に取れず、曲は比較的簡単とはいえ、アンサンブルなんて前日の夜に配られることが多かった。とにかく初見が多すぎる。大人数での合わせは特にフランス語がわからない場面が多くて、集中力を保つのが精一杯。ずっと放たれる言葉が怖い。わからなければ言ってくれと言われるけど、もう何がわからないかわからない。速いし。疲れる。楽器持つのもしんどいし、奏法も一からやり直しなのに、ソプラノとアルトとテナーの三本吹くことが多かった。


繰り返し、リラックスして演奏しなさい、ストレスはいらないと言われる日々。

そんなの一番本人の私が溜まりまくったこのストレス欲しくない。いらない。身体から、心から出て行って欲しいのにこびりついて。全然出て行ってくれない。悔しさと心の辛さと、実際の身体の痛さで言葉より涙が先に出てしまう。

どうしたの、なんで出来ないのって言われても、フランス語が乏しすぎて説明できるわけもないし(いや、今も無理w)、説明する気力すら湧いてこないし、説明できるほど、一回の施術で自分の身体のこと分かってコントロールなんてできない。

言葉の通じる側にいる日本人に弱音をこぼしたところで、気持ちが通じるはずがない。だって彼らは普通に過ごしている。普通に笑ってる。私、そんなに笑えないんだけど。。口角が上がらない何を聞いていても面白くない。(親身に話を聞いてもらえるわけでもなかったし、まず私が話す元気が皆無でした。)

楽器を思うように吹けない辛さなんて誰も分かってくれない。話したところでその人が痛みを取ってくれるはずもない。

練習室に一人になっては泣いて、ぼーっとするまで泣いて、それで疲れてしまって楽器吹かずに帰ることもありました。泣いてる時でさえ力んでいることに気づいてしまった時はもう本当に気が狂いましたね。。。

なんで誰も気づいてくれなかったんだろう。誰のせいにもできないのに、誰かのせいにしたくなる。助けてほしい。負の感情がどんどん出てきて、小学校で受けたいじめとか、中学、高校、大学時代の辛かった思い出や、言われて心が死にそうになったことや、あれさえなければもっと色々自分のためにできたんじゃないかとか、関係ない辛さも連鎖的に思い出してしまって、とにかくとにかく下へ下へ抜け出しにくい負の穴へ入って行ってしまいました。。


書いてるだけでしんど!今はめっちゃ元気だから頑張って書く!続く!