【毎日更新60日目】改めて「なぜ書くのか」を考えてみる。
気づけばnoteをはじめて2か月が経っていました。
毎日投稿も今日で60日目。
こんなに続けられるとは思っていなかったので少し驚いています。
文章を書くのが得意、とは思いませんが、どうやら”苦ではない”みたい。そんな自分と出会うことができました。
そして、これは全て読んでいただいている皆さまの存在があったからできたこと。
読んでいただいた全ての方に改めて感謝をお伝えしたいです。
スキやコメントを下さる皆さま、フォローまでしていただいている皆さま、本当に本当にいつもありがとうございます。
私の文章から、ほんの少しでも何か感じて下さったとしたら、これほど嬉しいことはございません。
今でもやっぱり一番優先するのは「自分が書きたいことを書く」ということですが、最近はそれに加えて「読んでいる方の心に触れるような文章」を届けられたら素敵だな、と理想を描いたりも。
まだなかなか、自分をどう切り取って、どう表現していけばいいのかを掴めてはおらず日々試行錯誤していますが、この二つが上手く重なるような文章を書いていければなと思っています。
文章をこうやって公の場に置いておくと、時が経ってから読んでいただくことがあるかと思います。
私もたまに、何年か前に書かれた記事を読ませていただくことがあるのですが、まるで海に乗って浜に届けられるボトルメールを受け取ったような、記事がネットの海を漂い過去からやってきたような、そんな不思議な気持ちになります。
今書いている文章は、リアルタイムで読まれるだけでなく、もしかしたら何年後かの誰かの元にまで届くかもしれません。
そんな想像をすると、ちょっとワクワクしてきますね。
noteというこの場所がいつまであるのか、そして私がいつまで続けられるのか全くわかりませんが、無理なく書けるところまでやってみようと思います。
毎日更新について。
時々「毎日更新」や「noteのつづけ方」の記事を書くと、書いてから結構経ってからも読んでいただいているようで、やっぱり関心のある方が多いんだなという印象がありました。
私が60日やってみて思ったのは、
『文章が書けない日 = ”心” か ”時間” に余裕が無い日』
これは多くの方がおっしゃられていますが、
「自分の余裕がどの程度あるのか」の指標になっていると、私も強く感じていました。
そしてこれは調子が悪い日も書くから分かることで、毎日書くことの意味は「自分と向き合うため」というのが、私が続けている大きな理由です。
noteをはじめる前、宮沢賢治の「疾中」という詩集を読んだことがあったのですが、私はこれを読んで、死の間際まで文を綴り表現し続けたその生き様に強く尊敬の念を抱きました。
そして、
私は心から言葉を使えているだろうか。この美しい日本語の国に生まれて、その言語をちゃんと扱えているのだろうか。
ふとそんな疑問が湧き起こりました。
文章を書く機会がない毎日。このままではどんどん日本語から離れているような、そんな不安にも駆られ、書く練習をしようと思い立ったのがnoteを始めるきっかけです。
ここにはそれぞれ色んな想いを持って文章と向き合われている方々がいて、
発見や共感や学びや気づき、色々な出会いがあるnote。
始めてみて良かったと心から思う、そんな60日目でした。
では、今日はこの辺で。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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