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”優しくない自分”から見えた景色。


今夜はこの曲を聴きたい気分。

LOVE PSYCHEDELICO の『Last Smile』





札幌に引っ越してからなかなか生活リズムが整わず、記事の更新が滞っておりました。皆さまお久しぶりです。かなです。


こちらに来てから想定外のハプニングが立て続き、色々なことが思うように進められず、最近の私は少し心に余裕を持てなくなっていました。

小さなことですぐイライラして、物を少し乱雑に扱ってしまったり、近しい人へ荒っぽい態度を取ってしまったり。

そんな自分に自己嫌悪してさらに疲れてしまい、負の連鎖が発生。
久しぶりに「ままならない」と、ため息が一つこぼれました。



今回の件で身に染みて感じたのは、「心身の疲労が心を狭くする」ということ。至極当たり前なことですが、休息することの重要性を改めて強く実感しています。




今日、久しぶりにお風呂でしっかり湯舟に浸かり、ほっと一息つきながら、自分の内側へと意識を巡らせてみました。


イライラするのって疲れるから性に合わないなぁ。
マイペースに柔らかく在りたいんだけどなぁ。


普段の私は他者のミスに対してあまり苛立つことがないのですが、どうにも最近は周りに対してもピリピリしがち。

イライラするとすごく体力を使うし、他者に対してネガティブな態度を取るとすぐ自分の心にも跳ね返り、矢が突き刺さるような痛みを伴うので、とても苦しい。


”他者に優しく在りたい”

私の意識と無意識は昔からこの言葉を共通の願いとして生きていましたが、どうやらそれは「私の心の構造」がそうさせていたのだと、突然理解することができました。

他者に優しく在ろうとする生き方が、私の心の平穏そのものだったのです。


全ては自分のため。自分がしたいこと。
しかしこの「心の構造」は、外の世界と共にある。
賜ったもの。私のものではないのです。



時々、私のことを「優しい」と言ってくださる方と出会うことがありますが、きっとそれは「私の優しさ」ではなく、「世界の構造そのもの」なのではないかと、そんなことが頭に浮かびました。


優しさも、悲しさも、愛も、自分でさえも、
この世に「所有」しているものなんて一つもなくて、全て賜ったものなのかもしれません。

そう考えると、全部余すことなく大切にしないとなぁ、と
少し優しい気持ちが戻ってきました。




今日はそんなことを思った夜。

LOVE PSYCHEDELICOのアンニュイなメロディが、
ネガティブな私に寄り添い、優しくない自分を見つめる勇気を後押ししてくれ、「世界の優しさ」をまた一つ、知ることができた気がします。



今日はいつも以上にまとまらない文章になってしまったので、この辺で。

最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございます。

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