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学びの記録。

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自分の経験から学んだこと、気づいたことの記録。 少しでも誰かの気づきに繋がればいいなと思い書いた記事を集めました。
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#毎日投稿

【毎日投稿250日目】「習慣」の持つ有り難さを、ようやく知る。

今日から5月が始まりました。 振り返ってみると、私にとって今年の4月はびっくりするくらいあっという間で、「光陰矢の如し」という諺をこんなに体感したのも初めてかもしれないなと、しみじみ感じています。 (由来は所説あるそうですが、この諺の元となったとされる言葉は平安時代の古今和歌集や中国・唐の時代の漢文などに見られ、昔の人々も同じような感覚を抱いていたことを知り、少し慰められるような気持ちになります。笑) noteを振り返ってみても、記事はなかなか書けておらずつぶやきを残す

「期待」はしない。ただ「信頼」するだけ。

4月に入ってからの私は、とても苦しい気持ちが続いていました。 新しい環境、新しい生活リズム、今まで出来ていたことがこなせないストレス・・・ しかしそれだけではなく、 理由が分からない「漠然とした苦しさ」がずっと纏わりつき、引っ越し作業が落ち着くのに反して、体は日に日に重たくなっていきます。 どうやらこの原因は「気持ち」の方にありそう。 でも思い当たる明確な理由が分からない。 ここ数日の私は、暗闇の中でその原因を手探りで探す、そんな毎日でした。 そして今日、ようやくそ

【毎日更新100日目】ここまで続けられた理由を振り返ってみました。

noteをはじめて、昨日で100日目を迎えました。 日記やブログなど、多くを三日坊主で終わらせた私からすると、100日続いているのはかなりすごい出来事! 昨日も投稿しましたが、改めて読んでくださる皆さまに感謝とお礼をお伝えしたいです。いつも本当にありがとうございます!! 今後もゆるく書いていこうと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。 さて、そんな三日坊主常習犯の私が、なぜnoteでは続けられたのか?少し考えてみたのですが、大きく2つの要因が浮かんできました。

毎日投稿は自己満足。でも自分のためにできるだけ続けてみたい。

「毎日投稿にこだわらないようにしよう」と、過去の記事にも書いていたし、自分にも常にそう言い聞かせてnoteと向き合っていたつもりでしたが、 いざ「途切れるかも!」となった時、私の心に沸き起こったのは強い悔しさでした。 そもそも何故毎日投稿しているのか? これは完全に自分自身のためなのですが、やってみようと思ったきっかけが一つありまして、 友人に、私の何倍も多忙を極める中、毎日ブログを3000字程更新し続けているすごい人がいて、その人のブログは自身の日記というより、読んで

奇跡的に続いている「毎日投稿」の振り返り【20日目】

noteを始めてもうすぐ3週間。 奇跡的に毎日投稿が続いていて、思えば人生でこんなにちゃんとした文章を毎日書くのは初めてかもしれません。 小学生の夏休みの日記すら一週間まとめて書くような子どもだったので、自分の中ではかなりすごい出来事。笑 何故つづけられているのか振り返ってみたのですが、私の場合はこの5つが重要な要素でした。 スタンスは初日とあまり変わっていませんね。笑 少し掘り下げてみようと思います。 1.「毎日投稿」にはこだわらない。 毎日書くって本当に大変です

noteを続けるために継続について考えてみる。

noteを書き始め、色々な方の文章を読むようになって2週間程が経ちました。 最近の私は、始めた頃よりも文章を書くことに難しさを感じています。 「これを書きたい!」と言うものがあっても、どうしたらもっと伝わるだろう?と悩むようになってきたからです。 これは恐らく「読む力」がついてきたことにより、自分の文章も客観的に観られるようになったからかもしれません。 自分の文章を、批評力が少し上がった私が前より辛口に読んでいる感じ。 文章を書くことを筋トレに例える記事を度々目にしますが

前回の挫折から学んだ「書くこと」への向き合い方。

3年前くらいに一度、noteを始めたことがありました。 自分の内側にある何かを文字で表現したいという欲求をずっと持っていて。でもその時は1か月も続けられずに終わってしまったんです。 挫折した理由。一番大きかったのは、他人と比べすぎたこと。 巧みな文章力や表現力、ためになる情報量、すごい経歴や職歴… そんな方々の書いた記事は多くの反響を得ていて、こんな記事が書けるって本当にすごくて憧れると思う反面、私は何でもない日常を文にして、一体何の意味があるんだろう?と書く目的を見失って